■日産がルノーと資本提携、カルロス・ゴーンが日産のCOO(最高執行責任者)に就任
今日3月27日は、「さくらの日」です。日本の国花である桜の魅力を知ってもらい、桜への関心を深めてもらおうという願いを込めて制定されました。桜「咲く(3×9=27)」の語呂合わせと、この頃にちょうど桜が咲き始めることに由来します。桜と言えばお花見ですが、昨年は「今年我慢すれば来年は大丈夫」と思っていましたが、残念ですが今年も無理ですね。また来年ということになってしまいました。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1999(平成11)年3月27日、日産自動車がルノーと資本提携し、ルノーの傘下に入りました。当時の日産は多額の損失を抱え、倒産寸前の状態に追い込まれていました。ルノーからカルロス・ゴーンがCOOとして送り込まれ、「日産リバイバルプラン」を実行して日産は危機を脱して復活したのでした。
また1979(昭和54)年のこの日、三菱自動車から2代目ランサーである「ランサーEX」が発売されました。
初代の「ランサー」は、1973年に発売。半年後には、ラリー車のベースとなる「ランサー1600GSR」が登場し、その年の「サザンクロスラリー」で1~4位を独占するという衝撃的なデビューを果たします。さらに翌年のWRC「サファリラリー」で初参戦初優勝を飾り、ランサーの名を世界中に轟かせました。
そして、1979年に2代目ランサーEXが登場。フルモデルチェンジしてボディサイズを拡大、角型ライトと角張ったボディは、やや地味な印象で販売も大ヒットとはいきませんでした。エンジンは1.4Lと1.6Lを搭載、その後1.8Lインタークーラーターボエンジンを搭載した「ランサーEXターボ」が追加され、これが後の「ランエボ」のルーツとなります。1981年から海外向けの2.0Lインタークーラーターボエンジンを搭載したランサーEXターボでWRCに参戦。優勝はできませんでしたが上位に迫る健闘の後、一旦ラリー活動は休止となりました。
その後1991年に登場した4代目ランサーでランエボが設定され、WRCへの復帰を果たしました。そこからのランエボの大活躍は、ご存知の通りです。
ラリーで大活躍していた当時の三菱は、エンジンの耐久信頼性の高さから「エンジンの三菱」と呼ばれていました。現在は、EVやPHEVの電動車のイメージの方が強いですね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!