■1930年、日本初の信号機が設置!
3月23日は、国際デーのひとつである「世界気象デー」です。世界気象機関(WMO)が発足10周年を記念して1960(昭和35)年に制定。WMOは、世界的な気象共同観測や気象資料などを交換する世界組織で日本は1953年に加盟しました。
また1930(昭和5)年のこの日、日本初の自動信号機が日比谷に設置されました。米国からの輸入品で、現在と同じ赤・黄・青の3色信号でした。それまでは、なんと「止まれ」「進め」の文字が書かれた標板を警察官が手動で回す仕組みだったそうです。信号機の代わりに交差点中央のボックスに立った警察官が、笛と手振りで交通整理している昔の様子をTVで見たことがありますが、手動式の標板式信号機があったとは驚きです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1979(昭和54)年3月23日、トヨタから4代目「カローラ」とその兄弟車「スプリンター」が発売されました。1966年にデビューしたカローラは、大衆車として日本のモータリゼ―ションを牽引。その後も時代に合った進化を遂げながら現在までずっとロングヒットを続け、トヨタ車中トップの累計販売台数を誇っています。
1966年にデビューした初代カローラは、すでに発売されていた中型セダン「コロナ」と小型大衆車セダン「パブリカ」の中間を狙ったモデルでした。当時のユーザーのマイカーに対する憧れや上級志向に応えた手頃な大衆車として大ヒット。発売から3年半で100万台を超える、当時のミリオンセラー最短記録を達成しました。
そして、1979年に登場したのが4代目カローラです。先代に対してトレッド50mm、ホイールベースを30mm拡大、ボディの大型化を図って大衆車でありながら高級感を演出しました。また、多様化する市場に対応するため、2/4ドアセダン、ハードトップ、クーペ、リフトバックとバリエーションが多いことも、大きなアピールポイントでした。スタイルは、シャープな直線基調でヘッドライトを丸目4灯式とし、クーペ系には精悍さを強調した角型の2灯式ヘッドライトを採用。さらに搭載エンジンも、1.3L、1.5LのOHVと1.6LのDOHCとバリエーションに富んでいました。
4代目カローラの販売も順調に滑り出しましたが、1980年代に入ると伸び悩みました。その原因のひとつは、ライバル車が次々とパッケージングに有利なFF方式を採用し始めたからでした。その結果として5代目からFF方式に変更、4代目が最後のFRのカローラになったのでした。
大衆車のFF化は当然の流れでしたが、それでもスポーツタイプの「レビン/トレノ」だけはその後10年近くFRで頑張ったんですよ。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)