■1989年1月7日は昭和最後の日。65年前に初代クラウンが発売
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御され、この日が「昭和最後の日」、翌日の1月8日が「平成最初の日」になりました。
1月7日は、「消救車の日」です。消救車とは? 字を見れば消防車と救急車の機能を併せ持つ緊急車両だと想像はつきますが、私は初めて聞きました。消防自動車の国内トップシェアの「モリタ」が世界で初めて消救車を作ったので制定されたそうです。そもそも毎日いろいろな記念日がありますが、どうやって決まるのでしょうか。記念日は、日本記念日協会によって審査され認定・登録されることになっています。認定されるかどうかは別にして、誰でも申請できるそうです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1955年(昭和30年)1月7日、トヨタから日本初の本格乗用車「トヨペット・クラウン」が発売されました。
トヨタの実質的な創業者である豊田喜一郎が目指したのは、完全オリジナルの国産車の製造でした。当時は国産車と言っても名ばかりで、GMやフォードの部品と技術を使って組み立てるだけのクルマでした。
戦前の1935年に初めての乗用車「AA型乗用車」、戦後直後の1947年には「トヨペットSA型」を販売しましたが、いずれも乗り心地が悪く耐久信頼性に問題がありました。それらの経験を糧に完成したのが、トヨペットクラウンでした。
世界レベルを目標にしたトヨペット・クラウンには、いくつかの新しい技術が採用されています。エンジンは、1.5Lの4気筒OHCで48psを発揮、サスペンションは前輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン式)を採用。日本の道路に合わせて乗り心地を向上させ、最高速は100km/hを超えました。クルマの出来栄えは、当時の外国部品で組み立てた国内車より優れていたので高い人気を博しました。
完全オリジナルのトヨペット・クラウンの登場がトリガーとなり、追随する形で主要メーカーからオリジナル乗用車が発売され、日本のモータリゼーションが始まりました。名車という称号でなく、トヨペット・クラウンは日本の自動車産業発展の礎となった大きな意味を持つ存在なのです。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)