目次
■日本大学の木村研究室が日本初の人力飛行に成功
1966(昭和41)年2月27日、日本大学木村研究室が製作した人力飛行機「リネット号」が、調布飛行場で距離10m、高度1mの初飛行に成功しました。
人力飛行機は、その名の通り人間のパワーのみを動力源とする飛行機で、自転車のようにペダルを漕いでプロペラを回す方式が一般的です。
現在の世界記録は驚くほど伸び、1988年にマサチューセッツ工科大学が「ダイダロス」で記録した115kmほどの飛行距離、滞空時間約4時間と言われています。
●機体の空気抵抗と重量を低減することが重要な人力飛行機
人力飛行機は、わずか0.3~0.4馬力に過ぎない人間の持つパワーで、ペダルを漕いでプロペラを駆動し飛行します。人間のパワーは、多少の大小はあっても限りがあるので、機体の空気抵抗と重量の低減が飛行能力に大きく影響します。
FAI(国際航空連盟)のスポーツ委員会によると、人力飛行機は次のように定義されています。
・熱空気あるいは空気より軽いガスで浮力を助けてはならない、空力的な助力を受けてはならない。
・離陸から着陸までの全区間,同じ乗員の動力と操縦で飛行すること。
・エネルギーを蓄える装置であるゴム紐,ゼンマイなどを備えてはならない。パチンコで射出することも許されない。
・離陸あるいは飛行中に、機体の一部を投棄してはならない,
・離陸および飛行はすべての方向に傾斜度1/200以下の水平面上で行わなければならない。
●英国で始まった人力飛行機、日本では日大がけん引
世界で最初に人力飛行に成功したのは、英国のサザンプトン大学で作ったサンパック号で、1961年11月に約45mの飛行に成功。1962年5月には距離908m、1972年6月には距離1071m、滞空時間1分47.4秒の飛行に成功するなど、飛行距離の記録は次々に更新されていきました。
日本では、1966年のこの日、調布飛行場において、日本大学で開発された「リネット号」が日本初の人力飛行に成功。リネット号の主要諸元は、全長:5.6m、全幅:22.3m、全高:4.19m、翼面積26.0m2、機体重量50.6kgでした。
日大では、1963年から機械工学科航空専修コースの木村研究室において、代々4年生が卒業研究のテーマとして人力飛行機の開発に取り組み、3年がかりで初飛行に成功したのです。その後も、日大では伝統的に人力飛行機の開発が進められ、1977年1月2日には「ストークB号」で飛行距離2093.9m,滞空時間4分27.8秒の当時の世界記録を達成しました。
●TVで放映される鳥人間コンテストで脚光を浴びる人力飛行機
人力飛行機と言えば、鳥人間コンテストを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。琵琶湖湖畔で通常毎年開催される鳥人間コンテストは、1977年に始まり、昨年2023年に第45回を迎えました。先述の人力飛行機の定義には合致しませんが、滑空機および人力プロペラ機の飛行距離・飛行時間を競う大会で、毎回その様子がTV放映される人気イベントです。
2023年は、DMG森精機社員で構成される「BARDMAN HOUSE 伊賀」チームが、人力プロペラ機で69.682km飛行し、過去に自分たちが打ち立てた大会記録を更新しました。2時間31分もペダルを漕ぎ続けたパイロットの体力に驚きです。
60年ほどの間に人力飛行機は、飛躍的に飛行距離を伸ばしました。車と同様、特に強度と軽量化を飛躍的に進歩させた新材料や接合技術の進化に依るところが大きいのではないでしょうか。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)