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■日本グランプリに参戦するために登場したトヨタ初のレーシングカー
1968(昭和43)年2月3日、トヨタが第5回日本グランプリ(GP)に参戦するために開発した「トヨタ7」が、鈴鹿サーキットにその姿を現し、試走を行いました。
トヨタは1966年の第3回日本GPに、誇れる性能である「2000GT」で参戦したものの、ライバル日産勢の投入してきたレーシングカー「R380」に敗北を受けてしまいました。トヨタ7はその雪辱を果たすために開発されていった、本格的なレーシングカーなのです。
●トヨタ7誕生までの日本GPの経緯
本田宗一郎氏の“世界に通用する本格的なサーキットを作りたい”という思いから、1962年に鈴鹿サーキットが完成、その翌年から記念すべき日本グランプリが開催されました。
・第1回日本GP(1963年)
自動車メーカーは、レースに直接タッチしないという紳士協定が事前に結ばれましたが、実際にはプリンス自動車以外はメーカーが関わったチューニングを施し、日産自動車「フェアレディ」やトヨタ「クラウン」、「パブリカ」などが各クラスで優勝を飾りました。一方で紳士協定を律儀に守ったプリンスは、「スカイラインスポーツ」と「グロリア」で惨敗を喫しました。
・第2回日本GP(1964年)
プリンスが前年の雪辱を果たすために開発したのは、2代目「スカイライン」にグロリアの2.0L直6エンジンを強引に搭載した「スカイラインGT」でした。メインレースのひとつGP-IIで、生沢徹選手がドライブするスカイラインGTが、性能で上回るポルシェ904を一時的に抜き去り先頭に立つという快挙をやってのけ、これが「スカG伝説」の始まりとなりました。
・第3回日本GP(1966年)
第2回日本GPでのスカイランGTの走りは、多くのファンを熱狂させたものの、最終的にはポルシェに勝てませんでした。そしてプリンス自動車(後に日産に合併)は、ポルシェに対抗するプロトタイプレーシングカー「R380」を開発していきます。臨んだ第3回日本GPでは、砂子義一選手がドライブするR380が前回の雪辱を果たして見事優勝を飾りました。
一方、トヨタは市販前の「トヨタ2000GT」で参戦しますが、R380やポルシェ906といった本格的なレーシングカーには太刀打ちできませんでした。
この結果を受け、トヨタも本格的なレーシングカー「トヨタ7」の開発に着手したのです。
●日産レーシングカーR380に対抗して登場したトヨタ7
オープン2シーターのトヨタ7の“7”は、当時のFIAが定めたC部門グループ7のカテゴリーに属するマシンであることから名付けられたもの。ただし、トヨタの開発工数が足りないことから、開発はヤマハ主導で行われました。
ツインチューブ式アルミ製モノコックボディにエンジンをミッドシップし、サスペンションは前がダブルウイッシュボーンでコイルスプリングが内蔵され、後もダブルウイッシュボーンですが、コイル・ダンパ一がアッパーアームに取り付けられたストラット構造でした。
しかし、1968年の2月3日に鈴鹿で試走したトヨタ7は、本命の3.0L V型8気筒エンジンが間に合わず、トヨタ2000GT搭載の2.0L直6 DOHCエンジンを搭載して試験が行われました。
翌3月にやっと最高出力330PS/8500rpmの3.0Lアルミ合金製V8エンジンが完成し、同年5月3日の第5回日本GP(’68日本GPと名称変更)でレースデビューしたのです。
期待されたトヨタ7(415S)はクラス優勝を飾ったものの、日産の大排気量5.5LのV8エンジン搭載の「R381」には敵いませんでした。しかしその後、第1回鈴鹿1000kmと全日本鈴鹿自動車レースなど国内の耐久レースでは、トヨタ7の実力を遺憾なく発揮して優勝を重ねました。
●幻となった800PSのモンスター・トヨタ7
トヨタ7も、大排気量化に対応して排気量を3.0Lから5.0Lに拡大した新トヨタ7(474S)を開発。デビュー戦の全日本スピードカップでは、日産「R381」を破って1、2フィニッシュをして順調にデビュー。
ところが’69日本GPで日産は、排気量をさらに拡大した6.0L V12気筒エンジンを搭載した新マシン「R382」で参戦、トヨタ7はまたしても苦杯をなめることになりました。
1970年には、トヨタ7(578A)は最高出力800PSをたたき出す5.0L V8ツインターボエンジンを搭載しました。しかし、1970年の’70日本GPは、シングルシーターのマシンで行うことに規則が変更されたため、トヨタはトヨタ7の開発を中止。結局、800PSのモンスターマシンのデビューは、幻に終わったのです。
自動車黎明期の1960年~1970年代、自動車メーカーは“レースで勝つことが販売促進に直結する”ことから、メーカーの威信をかけてレースに臨みました。一方、プライベーターの外国製レーシングカーに、国産ワークス勢が挑戦するという構図もあり、これらが日本メーカーの高性能化技術進化の原動力になったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)