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■ハレー彗星を探査する日本初の人工惑星「さきがけ」を打ち上げ
1985(昭和60)年1月8日、宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構:JAXA)が鹿児島宇宙空間観測所からハレー彗星探査機「さきがけ」の打ち上げに成功しました。
76年ぶりに地球に接近したハレー彗星を国際協力で探査する計画の一環です。
●宇宙科学研究所と日産が開発したロケットで地球の重力圏を脱出
探査機さきがけ(TS-T5)は、固体燃料を使った「M-3SIIロケット」1号機に搭載され、1985年のこの日に鹿児島宇宙空間観測所から打ち上げられました。M-3SIIロケットは、宇宙科学研究所が日産航空事業部と共同で開発しました。
日本として地球の重力圏を初めて脱出し、太陽周回軌道に投入された人工惑星さきがけ。一般的な人工衛星は、地球などの惑星を回っていますが、人口惑星は惑星探査などのため、地球を回る軌道から離れて太陽を回る軌道をとる人工の飛行物体です。
さきがけは、1986年に76年ぶりに太陽に回帰してきたハレー彗星を国際協力で探査する計画の一環として、「PLANET-A」の試験探査機として打ち上げられたもので、ロケットの飛翔性能確認とともにわが国初の試験探査機による様々な探査技術の習得が主な目的でした。
●さきがけのもたらした成果
日本初の人工惑星さきがけは、超遠距離通信、軌道および姿勢制御、軌道生成、軌道決定、姿勢決定、熱制御など様々な技術機器が必要でしたが、重量はロケットの性能から約140kgに制限されました。形状は、上部にアンテナを装備した円筒形で、姿勢はスピン安定方式にして安定を図り、大きさは太陽電池の面積と姿勢制御用ジェットの観点から、直径1.4m、高さ70cmでした。
打ち上げ後は順調に軌道に乗り、観測装置のチェックを終えて、太陽磁場中性面の存在有無、太陽風擾乱と地球磁気嵐との関連、太陽風および磁場の観測、最接近時のハレー彗星付近の太陽風磁場、プラズマ活動の観測、太陽風プラズマ波動などを観測しました。
1986年3月のハレー接近時には、太陽風のデータの取得が順調に行われ、1999年に運用を停止するまで、14年間にわたって太陽風プラズマ波動の観測などを続けたのです。
●M-3SIIロケットの開発に貢献した日産自動車航空事業部
日産が、M-3SIIロケットの開発に関わった背景には、戦後から続く長い歴史があります。
現在、日本の代表的なロケット総合メーカーとしては、「三菱重工」と「IHIエアロスペース(IHIの子会社)」があります。IHIエアロスペースは、主として各種宇宙用ロケット技術を応用して、各種宇宙用ロケットの開発および防衛用ロケットの開発と製造を行っています。
IHIエアロスペースのロケット技術は、戦前中島飛行機が独自に行っていたロケットの研究を起源として、戦後になって富士産業→富士精密工業→プリンス自動車工業→日産自動車へと受け継がれ、さきがけ用M-3SIIロケットの開発を担当したのです。ロケット開発においては、日産は主としてシステム設計、インテグレーションおよび主要部品の開発を担当しました。
その後、日産がルノーの傘下に収まったことで日産の宇宙航空部門は分離し、2000年に石川島播磨重工業(現、IHI)傘下に入り、IHIエアロスペースに移行したのです。
日産がロケット開発を行っていたことを意外と思われるかもしれませんが、日産だけでなくスバルや三菱自動車のように航空機メーカーの流れを汲む自動車メーカーは、歴史を辿ると航空機やロケットなどとの関りは少なからずあったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)