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■50ccとしては異例の最新技術を採用したスポーツスクーター
ホンダは、1983(昭和58)年11月18日に50ccスクーターで世界初の水冷単筒2ストロークエンジンを搭載した「ビート」を発表、発売は12月1日から始まりました。
このビートにはさらに、デュアル・ハロゲンヘッドライトやV-TACS(可変排気システム)、MF(メンテナンスフリー)バッテリーと、50ccクラスとしては異例の先進技術が採用されていました。
●ホンダ・スクーターの歴史
ホンダの起源は、戦後間もない1948年に本田宗一郎氏が創立した「本田技研工業」です。
1947年に自転車補助用「A型エンジン」の製造から始まり、その直後から本格的な2輪車の自社製造に取り組み、1949年に「ドリームD型号」の生産を開始。その後、1958年にデビューした「スーパーカブ」などの世界的なヒットによって、ホンダは2輪車メーカーとして確固たる地位を築きました。
日本で最初にスクーター人気のけん引役を果たしたのは、1946年に発売された富士産業(後の富士重工業、そしてスバル)の「ラビット」と、中日本重工(現、三菱重工)の「シルバービジョン」の2台でした。
ホンダからは、遅れて1954年にホンダ初のスクーター「ジュノオ」を発売。ジュノオは、189cc強制空冷4ストロークエンジンを搭載して人気を獲得しましたが、その後スクーターブームが去ったため、1963年に生産を中止しました。
そして、1977年にヤマハから大ヒットした「パッソル」、1980年にホンダからは「タクト」がデビュー。49cc強制空冷2ストロークエンジンを搭載し、燃費と使い勝手の良さで人気を博し、第2期スクーターの黄金時代の先駆けとなったのです。
●スポーツ感覚あふれるスクーターとしてビート登場
パッソルやタクトなどは、ソフトバイクと呼ばれて、手軽で扱いやすいことから主に主婦層などから人気を獲得しました。一方、1983年に登場したビートは、スクーターとしては珍しいスポーツタイプの原付スクーターでした。
エンジンは、50ccスクーターとして世界初の水冷単筒2ストロークエンジンで、最高出力は7.2PSを発揮。排気系には、低回転と高回転でトルクの2段切り換えを実現する“V-TACS(可変トルク増幅排気システム)”を装備。また、デュアル・ハロゲンヘッドライトやMF(メンテナンスフリー)バッテリーを搭載、これらも50ccクラスとしては世界初でした。
シャープな直線基調の斬新なスタイリングで、サスペンションは前輪には本格的なテレスコピックを採用、その他にも冷却フロントブレーキや透過式4連メーターなど、贅沢な仕様が注目されました。
価格は15.9万円で、当時の大卒初任給は13万円(現在は約23万円)程度なので、かなり高額でした。
スポーツスクーターの先駆け的な存在でしたが、当時はまだ市場で理解されず、高額であったこともあり、ヒットモデルとはなりませんでした。
●2000年以降、空冷エンジンは市場から淘汰
自動車用の空冷エンジンは、排ガス規制に対応できず2000年を迎える頃には完全に市場から姿を消しました。バイクでは、シンプルで小型軽量のメリットを生かして、数は少ないながらまだ採用しているモデルが存在します。
空冷エンジンのメリットは、何といってもシンプルで軽量・低コストなことです。水冷エンジンのように、ウォータージャケットが必要ないため、構造が簡単で部品点数が少なく製造も容易です。しかし、水冷に比べて冷却能力が劣り、また冷却能力が走行風に依存するため、オーバーヒートしやすい、そのため本来の出力が発揮できないという致命的な問題があります。
またオーバーヒートのリスク以外にも、気筒ごとのシリンダー温度が安定しないことが、燃費や排ガス性能に悪影響を与えます。これらによって、クルマ同様、2000年以降に空冷エンジンのバイクは激減し、ほとんどの国内モデルが市場から消えたのです。
当時のスクーターは、安全で女性でも簡単に操れるバイクでした。最近、バイクもEV化が進み、ヤマハの「パッソル」のような電動スクーター、あるいは大型の高性能EVバイクも登場しています。クルマ同様、電動化は避けられないのでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)