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■レオーネの走りを継承したレガシィの弟分インプレッサ
1992(平成4)年11月1日、スバル(当時は、富士重工業)の主力モデル「レガシィ」の弟分として「インプレッサ」がデビューしました。
インプレッサは実質的には「レオーネ」の後継車であり、最強モデルの「インプレッサWRX」は、圧倒的な走りでWRC(世界ラリー選手権)の一時代を築いていったのです。
●インプレッサの前身であるレオーネ、世界初の量産4WDも登場
スバル・レオーネは「スバル1000」の後継として1971年にデビュー。最初に登場したのはクーペスタイルで、躍動感あるロングノーズとサイドライン、サッシュレスのドアなどを装備し、パワートレインは伝統の1.4L水平対向エンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFFで最高速度は170km/hを記録しました。
翌年1972年に4ドアセダン、その2ヶ月後には2ドアセダンとスーパーツーリング、エステートバン、1100シリーズなどを追加。8月には、世界初の「量産4WD車」のエステートバン、1975年には世界初の「量産4WD乗用車」が投入され、ここにシンメトリカルAWD(水平対向エンジン+4WD)というスバルのコア技術が誕生したのです。
積極的にモデル展開を進めたレオーネは、順調に販売を伸ばし、スバルの中核モデルへと成長しました。
●水平対向エンジンと先進的な4WDを受け継いだインプレッサ
インプレッサは、生産を終えたレオーネの後を継ぎ、レガシィよりひと回りボディを小さくした弟分として1992年にデビュー。ボディタイプは、サッシュレスの落ち着いた雰囲気の4ドアセダンと高性能ターボエンジンを搭載したスポーツセダンのWRX、コンパクトなラゲッジを持つ5ドアのスポーツワゴンの3種でした。
エンジンは、すべて水平対向4気筒エンジンで、240PSを発揮する2.0L DOHCターボ(EJ20型)、1.8L SOHC(EJ18型)、1.6L SOHC(EJ16型)、1.5L SOHC(EJ15型)の4機種で構成。駆動方式はMTにはビスカスLSD付のセンターデフ式4WD、ATにはトルクスリップ式4WDを組み合わせ、FFも用意されました。
落ち着いた雰囲気のセダンは若い女性から、ターボエンジンを搭載したWRXは走りを重視する若者から人気を獲得。インプレッサWRXのハイグレードの車両価格は229.8万円、ちなみに当時の大卒の初任給は、17.5万円(現在は約23万円)程度でした。
●WRCを席巻した名車WRXも誕生
デビュー時から人気を獲得していたインプレッサは、さらなるイメージ強化のために、当初から予定されていたWRC参戦マシンとして、レガシィからバトンタッチを受けてゆきます。1993年よりインプレッサWRXでWRC(世界ラリー選手権)への挑戦を開始。その戦果も素晴らしく、STI(スバルテクニカインターナショナル)が中心に手掛けたコンプリートカー「WRX-STi」として1994年1月に、高性能車は市販車に還元されて発売されてゆきます。
EJ20ターボエンジンのファインチューニングによって最高出力250PS/最大トルク31.5kgmを発揮。さらにその年の11月には、サーキット・競技用にカスタマイズされた最高出力275PSの「WRXタイプRA STi」が投入されました。
WRC参戦の成果はすぐに実り、1995年から3年間連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得するという、日本初の偉業を成し遂げ、インプレッサは世界中の走り好きが憧れるスポーツモデルへと駆け上がりました。
インプレッサWRXは、スバルにとってブランド向上の立役者であり、三菱のランエボとともに日本におけるラリー人気の火付け役として大きな役割を果たしたのです。
スバルがレオーネの時代から進化させてきた水平対向エンジンと4WD技術は、さらにレガシィ、インプレッサでブラッシュアップされました。そして、WRCでその実力を遺憾なく発揮して、スバルの看板技術であるシンメトリカルAWDが完成したのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)