「フェアレデー」は北米専用に生まれた日産のスポーツカー。「ダットサン・フェアレディ1500(SP310型)」誕生から「フェアレディZ」への軌跡【歴史に残るクルマと技術012】

■国産初となる本格スポーツカーのダットサン・フェアレディ1500

1962年に登場した本格オープンスポーツのダットサン・フェアレディ
1962年に登場した本格オープンスポーツのダットサン・フェアレディ

1962(昭和37)年10月4日、日産自動車から国産初の本格スポーツカー「ダットサン・フェアレディ」が発表・発売されました。

前年の全日本自動車ショーで華々しくデビューし、1963年の第1回日本グランプリレースでは、スポーツカークラスで圧倒的な強さを見せ、その実力を遺憾なく発揮しました。


●日産自動車のスポーツカーの始まり

戦後の1950年代、欧米を中心に英国製の「トライアンフTR」 や「MGB」、イタリアのアルファロメオ「ジュリエッタ」など、欧州製の小型スポーツカーが人気を獲得。日産も、海外市場に進出するために欧州製の小型スポーツに対抗できるモデルの開発を進めました。

1952年にデビューした戦後初のオープンカー「ダットサンDC-3」
1952年にデビューした戦後初のオープンカー「ダットサンDC-3」

まず1952年に、日産として、また国産車としても戦後初のオープンカー「ダットサンDC-3」を投入。

続いて1959年には、FRP製ボディを纏った「ダットサンスポーツ1000(S211)」、1960年には北米専用モデルながら初めてフェアレディ(表記は、フェアレデー)の名を冠した「ダットサン・フェアレデー1200(SPL212)」の発売を始めました。

ただし、いずれも既存の量産型セダンのシャシーを流用したオープンタイプのスポーツカー風の、いわゆる“屋根なしセダン”で、販売も振るいませんでした。

1960年にデビューしたダットサン・フェアレディ1200(SPL212)、海外専用ながら初めてフェアレディを名乗る
1960年にデビューしたダットサン・フェアレディ1200(SPL212)、海外専用ながら初めてフェアレディを名乗る

これでは、欧州製の小型スポーツカーには太刀打ちできないことから、本格的なスポーツカーの開発を目指して出来上がったのが、ダットサン・フェアレディ1500だったのです。

ちなみに「フェアレディ」の名は、当時の日産の勝又克二社長が渡米した際に観覧したミュージカル“マイフェアレディ”に由来すると言われています。

●国内で初めてフェアレディを名乗ったフェアレディ1500登場

満を持して登場したフェアレディ1500は、新しくデザインされた3人乗りの当時欧州で流行っていたクラシカルなスタイリングを採用。

初代「ブルーバード(310型)」のシャシーに補強のためのX型フレームを追加し、サスペンションもブルーバード用(前:ダブルウィッシュボーン/後:リーフリジット)のスプリングやダンパーを強化したものが使われました。

ダットサン・フェアレディ1500(SP310型)の主要スペック
ダットサン・フェアレディ1500(SP310型)の主要スペック

パワートレインは、セドリック用の1.5L直4 OHVを最高出力71PS/最大トルク11.5kgまでチューンナップしたエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFRでした。

出力自体は突出したものではありませんでしたが、車重が870kgと軽かったため、最高速度は150km/h、0-400m加速19.7秒を記録。その快速ぶりを証明するように、翌1963年には第1回日本GPのスポーツカー1300cc~2500ccクラスで、圧倒的な走りを見せつけ優勝したのです。

車両価格は85万円、当時の大卒の初任給は1.7万円(現在は約23万円)程度であり、単純計算では現在の価値では約1150万円となります。国内では高価であったこともあり、日本よりも海外で販売を伸ばしました。

●フェアレディ1600、2000へと進化、そしてフェアレディZへ

米国で人気を博したフェアレディ1500は、米国輸出モデルの重要な役目を担うようになり、米国市場からの要望に応える形でパワーアップを図ります。

1967年にデビューしたフェアレディシリーズの最高峰ダットサン・フェアレディ2000(SR311)
1967年にデビューしたフェアレディシリーズの最高峰ダットサン・フェアレディ2000(SR311)

1965年に、排気量を1.6Lに拡大し、2連装したキャブレターなどでチューンナップした「ダットサン・フェアレディ1600(SP311)」を投入。最高出力90PS/最大トルク13.5kgmを発揮するエンジンで、最高速度は165km/hまで向上し、欧州製1.6Lクラスのスポーツカーを凌駕しました。

また、2輪で名を馳せていた高橋国光選手が、4輪に転向してフェアレディ1600をドライブして1966年の第4回クラブマンレース、第3回日本GPのGTクラスで優勝を飾ったのは有名な話です。

1969年にデビューし、大ヒットした初代フェアレディZ
1969年にデビューし、大ヒットした初代フェアレディZ

1967年には、フェアレディシリーズの最高峰「ダットサン・フェアレディ2000(SR311)」が登場。

2.0L直4 SOHCエンジンにすることで、最高出力145PS/18.0gmまでパワーアップ。最高速度は205km/h、0-400m加速は15.4秒を記録し、1967年と1968年の日本GPのGTクラスで圧巻の2連覇を成し遂げました。

そして、この流れを汲んで1969年に登場したのが、現在も日産の、そして日本を代表するFRスポーツの「フェアレディZ」なのです。

●他の自動車メーカーもスポーツカー市場へ進出

フェアレディシリーズのヒットが起爆剤となって、他の国内メーカーからも相次いで本格的なスポーツカーが登場します。

1964年にデビューしたS600。圧倒的な走行性能で人気を集める。
1964年にデビューしたS600。圧倒的な走行性能で人気を集める

1963年に、531cc直4 DOHCエンジンを搭載した軽のオープン2シーター「ホンダS500」、1964年には「ホンダS600」、国産車として初めてGTを冠した「いすゞ・ベレットGT」、さらに1965年には「トヨタ・スポーツ800」、ダイハツの「コンパーノスパイダー」がデビューしました。

当時は環境規制や安全規制などが緩かった時代、自由なスタイリングやハイパワーエンジンが採用しやすく、スポーツカーが市場で受け入れやすかったのです。

●フェアレディ1500が誕生した1962年は、どんな年?

1962年にデビューした初代キャロル、先進的な360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載
1962年にデビューした初代キャロル、先進的な360cc水冷4ストローク4気筒エンジン搭載

1962年には、東洋工業(現、マツダ)から東洋工業初の「R360クーペ」に続いた4人乗り軽乗用車「キャロル」と、戦後本格的に乗用車事業に進出した新三菱重工(後の三菱重工、三菱自動車の前身)から初の軽乗用車「ミニカ」の2台の軽自動車がデビューしました。

マツダ・キャロルは、軽乗用車初のオールアルミの360cc直4水冷4ストロークエンジンをリアに搭載した、斬新なRR(リアエンジン・リアドライブ)方式を採用して大ヒット、マツダ躍進の起爆剤となりました。

三菱ミニカは、360ccの2気筒2ストロークエンジンを搭載し、駆動方式は当時主流のRRでなくFR、広いトランクスペースを持つ3ボックスタイプがアピールポイントでした。

1962年にデビューした三菱・初代ミニカ
1962年にデビューした三菱・初代ミニカ

その他、この年には戦後初の国産航空機YS-11(日本航空機製造)が初飛行し、堀江謙一氏がヨットで日本人初の太平洋横断に成功。映画「007」シリーズ第1作が公開、大正製薬の「リポビタンD」が発売されました。

物価は、ガソリン45円/L、ビール大瓶125円、コーヒー一杯64円、ラーメン45円、カレー110円、アンパン12円の時代でした。


日本を代表するスポーツモデル・フェアレディZ誕生の布石となり、日本のオープンスポーツカー市場を開拓したダットサン・フェアレディ1500、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる