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■高性能を追求した6代目ニューマン・スカイライン
1981(昭和56)年8月18日、日産自動車のスカイラインはこの日、「ジャパン」の愛称で呼ばれていた5代目に続き、6代目「ニューマン・スカイライン」をデビューさせました。
アメリカ合衆国の著名俳優ポール・ニューマンがスカイラインのコマーシャルシーンに登場し、憧れイメージの愛称にもなった「ニューマン・スカイライン」は、1970年代のオイルショックと排ガス規制を乗り越え、史上最強のスカイラインと謳われた「ターボRS」を10月に追加するなど、高性能化にこだわったスカイラインでした。
●5代目までのスカイラインの歴史
歴史の長いスカイラインには、そのクルマの特徴や時代背景を表現したニックネームが付けられ、スカイラインというよりもそのニックネームで呼ばれていました。
・初代L型/20系(1957年~1963年)
富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)にて、初代「プリンス・スカイライン」が誕生。日本の自動車史で重要な役割を果たした名車スカイラインは、ここから始まりました。
・2代目S50型(1963年~1968年):羊の皮を被った狼
プリンス自動車から登場しましたが、1966年にプリンス自動車は日産に吸収合併。日本グランプリでポルシェを抜き去った偉業をもって、見た目とパワーのギャップからつけられたニックネーム、というよりは名言
・3代目C10型(1968年~1972年):ハコスカ
箱(ハコ)型のスカイライン(スカ)と短縮されたネーミング、1962年にはGT-Rの初代に相当する「スカイラインGT-R」が誕生
・4代目C110型(1972年~1977年):ケンメリ
ケンとメリーのカップルがスカイラインで日本を旅するファッショナブルなTVコマーシャルが話題となり、“ケンメリ”の愛称を浸透させ、ハコスカを上回る人気を獲得して歴代最高の販売台数を記録
・5代目C210型(1977年~1981年):ジャパン
日本の風土が生んだ日本の名車、という意味を込めて“ジャパン”の愛称で親しまれた。当時は、強化された排ガス規制が優先されたため、性能は停滞
●高性能化を進めて速いスカイラインをアピールした6代目(R30型)
1981年に登場した6代目スカイラインは、前述しましたが米国の人気俳優ポール・ニューマンをイメージキャラクターに起用したことから、「ニューマン・スカイライン」と呼ばれました。
それまでスカイラインを特徴づけていたサーフィンラインの代りに、ウェッジシェイプのデザインに一新。2ドアハードトップと4ドアセダンに、新たに5ドアのファストバックが加わり、エンジンは2.0Lの直6 SOHCと直4 SOHCの2種類で、トップモデルの2000ターボGTには直6ターボが用意されました。直6ターボ搭載のハードトップの車両価格は、172.0万~196.2万でした。
注目は、同年10月に登場した「スカイラインGT」のDNAを受け継ぐ「スカイラインRS」です。RSは、モータースポーツへの参加を前提にしたモデルで、新たな2L最強の直4 DOHCエンジンを搭載し、最高出力150PS/最大トルク18.5kgmを発揮したのです。高性能化はさらに続き、1983年2月には最高出力190PSの「ターボRS」を追加、6気筒のGTとは一味違う存在として人気を獲得しました。
●マイナーチェンジ(R30型後期型)で「鉄仮面」登場
1983年10月には、マイナーチェンジでフロントとリアのデザインを大きく変更。フロントグリルのない個性的なフロントマスクの風貌から「鉄仮面」と呼ばれ、今も一部のファンからは絶大な人気を獲得しています。
さらに1984年2月には、ターボにインタークーラーを組み合わせて、最高出力は205PSまで向上。RSターボは、スカイラインGT-Rを凌ぐ性能を発揮し、十分にスカイラインGTを名乗る資格はあったのですが、4気筒エンジンであったためか「GT」を名乗らなかったのです。ちなみに、2000インタークーラーターボRSは、241.9万円(セダン)/247.4万円(ハ―ドトップ)でした。
“史上最強のスカイライン”と謳われたRSは高出力モデルでありながら他のGTとは一味違う運命を辿ったのです。
6代目は、1970年代の排ガス規制から解放され、再び速いスカイラインをアピールした“最強のスカイライン”。異彩を放った6代目は、希少価値の高い高性能スカイラインとして、マニアックなファンから今も愛され続けています。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)