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■“ちょっとそこまで下駄車”のキャッチコピーで登場したマイクロカー
1998(平成10)年7月28日、光岡自動車は史上最小のマイクロカー「MC-1」を発表、発売は7月30日から始まりました。
簡素な「MC-1」は、原付免許で乗れるコンパクトな1人乗りミニカーとして人気を獲得し、やがて消えていった「BUBU」シリーズのコンセプトを受け継ぐかたちで登場しました。
●光岡自動車の誕生とマイクロカー販売
光岡自動車の前身は、1968年に光岡進氏が個人創業した板金や整備を行う光岡自動車工業です。
中古車販売も手掛けて事業を拡大し、車椅子用の4輪車を生産した後、1982年に待望の自社オリジナルマイクロカー「BUBUシャトル50」を発売。ゼロハンカーと呼ばれ、「BUBUシャトル501/502/502/504」とシリーズ化して大ヒットします。
ところが、1985年道路交通法の改正によって、ゼロハンカーが自動2輪および原付免許で運転できなくなり、普通免許が必要となって、一気に販売が1/10まで激減しました。そこで光岡自動車は、小型自車だけでなく既存のクルマを改造してファッショナブルなクルマに仕立てる「レプリカ戦略」を打ち出したのです。
●レプリカ戦略と日本10番目の乗用車メーカーへの道
レプリカモデルの第1弾は、1987年発売の「BUBUクラシックSSK」。その後、スポーツタイプの「BUBU356スピードスター」など次々と市場に投入しました。
1993年には日産の「マーチ」をベースにしたクラシックテイストの「ビュート」が人気を呼び、レプリカモデルは高級クラシック路線のファッションカーと称されました。
そしてレプリカモデルの次の一手が、シャシーとサスペンション、ボディパネルなど自社設計したオリジナルカーの開発であり、1994年にスポーツタイプの「ZERO1」が投入されました。ZERO1の各部の熟成と安全性を図った1996年のZERO1が、保安基準をクリアして運輸省の型式認定を取得し、この時点で光岡自動車は日本で10番目の乗用車メーカーとして認可されたのです。
●使い勝手は良いが、用途が限られるMC-1の販売は低迷
生産を終了したBUBUシリーズの後継として、新たに1998年にマイクロカーのMC-1が発売されました。ちなみにマイクロカーは一般呼称で、小型モビリティ上の正式名称は、第一種原動機付自転車(ミニカー)です。
ミニカーは、排気量20cc超で50cc以下、または定格出力0.25kWから0.6kW以下の原動機を有し、道路交通法上は普通自動車、道路運送車両法上は原動機付自転車として扱われます。したがって、運転するには普通免許が必要であり、1人乗りで法定速度は60km/hに制限されます。
MC-1は、全長1.75m、全幅1.1mで、ドアやリアウインドウを持たないシンプルなスタイリング。車内のフロントメーターは、スピードメーターとガソリン残量計、ライトのハイビームインジケーターだけ。この他にウインカーレバー、ワイパースイッチ、ハザードスイッチが装備されています。
エンジンは、最高出力6.1PSのバイク用空冷単気筒49ccの2ストロークエンジンで、これにCVTが組み合わされました。
39万円で販売されたユニークなMC-1でしたが、用途が限られるがゆえに販売台数は伸びませんでした。その後、排ガス対応が厳しいため、2007年に生産を終えました。
最近はEVの超小型モビリティが話題となることが多いですが、なかなか普及に至らず、市民権が得られていません。人や荷物を輸送できる量が少ないので効率が悪いように考えがちですが、1トン以上もあるクルマを無駄に1人で運転することが多い実状を考慮すると、小型モビリティのCO2低減効果は大きいのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)