目次
■ル・マンに最も多く出場した日本人!
開催100周年記念という節目を迎えた、今年2023年のル・マン24時間レースは、見応えたっぷりでした。トヨタ、フェラーリ、プジョー、ポルシェ、キャデラックという名門がずらり揃ったハイパーカーカテゴリーは、近年稀に見る大接戦。レース終盤までわずか10数秒のギャップでトップ争いが続けられるという、あまりにも胸アツな展開でした。
50年ぶりに総合優勝を果たしたフェラーリ。帰ってきた名門相手に、6連覇を目指して一騎打ちを繰り広げたトヨタ。それに続いて3・4位を獲得したキャデラックも、本当に素晴らしいレースを見せてくれました。
今年で第91回を数えたル・マンですが、これまでの最多出場記録をもつドライバーは、フランス出身のアンリ・ペスカロロ。参戦回数はなんと33回! しかも4度の総合優勝を果たしています(しかも1972〜74年は三連覇)。
ペスカロロに次ぎ、30回にわたってル・マンに挑んだ猛者はボブ・ウォレク。アルザス地方のストラスブールで生まれたフランス人ドライバーでした。
実は、このフレンチレーサー2人に迫る、3番手のル・マン出場記録保持者こそ、我らが“日本のミスター ル・マン”、寺田陽次郎さんなんです!
●レースを通じて日仏の架け橋に
1947年3月に神戸で生まれた寺田さんは、1965年にホンダS600を駆ってレースデビュー。1969年にはマツダオート東京へ入社し、ロータリークーペやカペラ、サバンナRX-3などでレース活動に邁進。1974年にはル・マンへ初参加し、4度のクラス優勝を含め、29回もの出場記録を保持しています。
もちろん、これは日本人最多記録です。
2003年には、ル・マン主催者であるACO(フランス西部自動車クラブ)理事に就任。モータースポーツを通じて、フランスと日本の架け橋となる活動を続けてきました。
また、東日本大震災被災で遺児となってしまった子どもたちの自立支援を目的に発足した「Support Our Kids」プロジェクトの発起人にも名を連ね、マツダとともに、2013年から10年間、毎年東北の学生さんをル・マンへ連れていき、フランスの文化やレースの世界にふれる機会を提供してきました。
モータースポーツを通じて、日仏の友好関係強化に貢献してきた寺田さん。その功績が認められ、このたびフランス共和国から「国家功労勲章 シュヴァリエ」の叙勲を受けられました! さる2023年6月19日(月)には、フランス大使公邸で叙勲式典が行われました。
●ミスター ル・マンの最初のクルマは…
フィリップ・セトン駐日フランス大使はスピーチで、「親愛なる寺田さん」と呼びかけ、「つい数日前までもル・マンへお出かけだったと記憶していますよ」と親しみ深い様子で語りかけていました。
さらに、寺田さんのレースキャリアを事細かに説明したうえで、「ミスター ル・マンと呼ばれていると伺っています」と紹介。前述した「Support Our Kids」プロジェクトで、計50名もの東北の子どもたちをフランスに連れていった寺田さんの活動についても言及し、「参加した皆さんのうち、おふたりはフランスに留学しているそうです」と語りました。
壇上から降りた大使は、寺田さんにシュヴァリエの勲章を授与。ちなみに、このエレガントなブルーのリボンは、16世紀にヘンリー3世によって設けられた「聖霊勲章」の名残だということです。
胸元に勲章を佩用した寺田さんのスピーチでは、「少年時代に抱いた、世界を舞台に日の丸を掲げたいという想いがあったからこそ、50年にわたってル・マンに関わり続けてこられた」と、その“原動力”について触れられました。
花束の贈呈では、「Support Our Kids」プロジェクトで2013年と2015年に渡仏したふたりのOG・OBが登壇。実は、今年のル・マンでも「Support Our Kids」一期生の学生が、ブースのお手伝いなどに訪れていたそう。一度行ったらそれで終わり、とはならず、こうやってその繋がりがずっと続いているところに、同プロジェクトの意義深さを感じた次第です。
マツダとともに、ル・マンを駆け続けてきた寺田さん。ちなみに、16歳で免許を取得して、最初に所有したクルマがR360クーペだったそう! 日本のミスター ル・マンとマツダは、最初から赤い糸で結ばれていたんですね。
(文:三代やよい)