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■飛行機づくりの技術集団が生んだ初代スカイライン
1957年(昭和32)年4月24日、富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)から、初代「スカイライン」が発売されました。スカイラインはその後、現在まで13代66年続く、日本の自動車史の1ページを飾る名車です。
●スカイラインを生んだ富士精密工業とプリンス自動車
初代スカイラインを製造した富士精密工業は、終戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命によって、軍需産業とみなされた航空機メーカー「中島飛行機」と「立川飛行機」が解体された後、以下のような紆余曲折を経て誕生した企業です。
当初は、「東京電気自動車」、その後「たま自動車」を名乗り、1952年に「プリンス自動車」と改名。1954年に「富士精密工業」となり、その間にスカイラインとグロリアを開発しますが、1961年に再びプリンス自動車を名乗り、1966年にプリンス自動車は日産に吸収合併されました。
そのため、プリンス自動車は飛行機づくりのDNAを受け継ぎ、先進的な技術を追求する技術集団でした。ちなみに、プリンスという社名の由来は、富士精密工業製造のクルマに当時の皇太子(現在の上皇陛下/明仁様)がお乗りになったことからきています。
以上の経緯から、初代と2代目はプリンス・スカイライン、3代目以降は日産・スカイラインと名乗っています。
●初代スカイラインは、アメリカンスタイルの高性能セダン
初代スカイラインは、“世界で通用する性能と品質を持ち、高速で安全かつ軽快に走行できるクルマ”を目標とし、開発のトップは“ゼロ戦”のエンジン設計者だった中島飛行機出身の中川良一氏でした。
テールフィンを持つボリューム感のあるアメリカンスタイルが特徴で、エンジンは1.5Lの直列4気筒でクラストップの60PSを発揮、最高速は国産乗用車最速の125km/hを誇りました。
足回りは、フロントにダブルウィッシュボーン、リアはド・ディオンアクスルという乗り心地に配慮した仕様で、すべてに当時の先進技術を採用。車両価格は、デラックスで120万円、クラウンデラックスの122万円とほぼ同等の設定でした。
初代から同クラストップの性能を誇示していましたが、1959年に70PSへと出力を向上、さらに1962年には排気量を1.9Lにして91PSを発揮する「スカイラインスーパー」、イタリア人デザイナーによる「スカイラインスポーツ」が追加され、高性能セダンとして進化し続けました。
●2代目スカイラインGTの登場でスカイライン伝説が始まった
スカイラインがスカイラインたる本性を見せたのは、1963年に登場した2代目からです。
それは、1964年5月2日から2日間開催された第2回日本グランプリのこと。前年の第1回、スカイラインで惨敗を喫したプリンスは、スカイラインにグロリアの直6エンジンを載せたパワフルな6気筒「スカイラインGT」を作り上げて臨み、生沢徹のスカイラインGTはなんと、7周目にはポルシェ904(式場壮吉)を抜き去るという快挙をやってのけたのです。
最終的には、ポルシェ904が優勝しましたが、国産車が最高峰のポルシェを抜いたことに観客は酔いしれ、今も伝説として語り継がれています。
これが、「スカイラインGT-R」へと引き継がれ、“羊の皮を被った狼”という称号が与えられ、スポーティなセダンというジャンルを確立。
その後、1968年の3代目通称「ハコスカ」と1972年の4代目「ケンメリ」で人気は爆発、スカイライン伝説が作り上げられていったのです。
スカイラインは、トヨタのクラウンとともに長い歴史を持つ日本を代表する名車です。しかも、数多くの伝説を作り上げ、スカイラインを巡る話題は尽きることがありません。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)