トヨタ「パブリカスターレット」デビュー。49.8万円で登場したパブリカ上級スポーティモデル、これがヤリスの源流だ【今日は何の日?4月11日】

■スターレット、ヴィッツ、ヤリスと続く名門コンパクトカーの元祖登場

1970年にパブリカの上級モデルとして登場したパブリカスターレット
1970年にパブリカの上級モデルとして登場したパブリカスターレット

1970(昭和45)年4月11日、クーペスタイルの「パブリカスターレット」がデビューしました。

パブリカスターレットは、2代目「パブリカ」の上級スポーティモデルとして登場して、パブリカを上回る人気を獲得。その結果、人気が低迷していたパブリカは、パブリカスターレットへと引き継がれ、その後「スターレット」となったのです。

このスターレットこそが、連綿と続いているトヨタのコンパクトスポーティカーの元祖なのです。


●コロナと軽自動車の間を埋めるために誕生した大衆車パブリカ

トヨタは、1955年に日本初の本格乗用車「トヨペットクラウン」、1957年に中型乗用車「コロナ」を投入。続いて、コロナのワンランク下の大衆車として、1961年にパブリカを発売しました。当時通産省が提案していた“国民車構想”の設計思想に基づいて開発され、日本の大衆車の先陣を切って登場したのです。

1961年にデビューした初代パブリカ
1961年にデビューした初代パブリカ

パブリカは、当時としては珍しいモノコックボディを採用し、コンパクトな3ボックスの2ドアセダンながら、十分なキャビンと荷室スペースを確保。パワートレインは、700cc空冷水平対向2気筒OHVと4速MTの組み合わせのみ、駆動方式はFRでした。

優れた性能と実用性を兼ね備えたパブリカでしたが、期待したほど販売は伸びませんでした。質素な装備ながら価格が軽自動車より高いことで、中途半端な位置づけになってしまったのです。

●2代目パブリカのスポーティな上級モデルとして登場

1966年に排気量を700cc/800cc→1000cc/1200ccに拡大した2代目パブリカが登場。その4年後、1970年にパブリカの派生モデルとして登場したのが、パブリカスターレットです。

1966年に登場した2代目パブリカ
1966年に登場した2代目パブリカ

パブリカスターレットは、イタリアの著名なデザイナーであるジウジアーロのデザインによって、パブリカとは全く異なる直線基調のロングノーズのスポーティなクーペに変貌。エンジンは、パブリカと同じ1.0L/1.2L直4 OHVですが、軽量コンパクトなボディの強みを生かしてモータースポーツでも活躍しました。

スポーティなパブリカスターレットは、価格49.8万円~58.5万円で販売され、本家のパブリカを上回る人気を獲得。これにより、パブリカは1971年に生産を終了し、パブリカスターレットが後を引き継ぎ、1978年に車名をスターレットの単独ネームとして2代目に移行したのです。

●スターレットからヴィッツへ、そしてヤリスに進化

1999年に登場した初代ヴィッツ
1999年に登場した初代ヴィッツ

スターレットとなった2代目は、クーペからハッチバックに変更され、ここから実質的にスターレットの歴史が幕開けました。その後スターレットは、エントリーモデルから“カットとびスターレット”と呼ばれたスポーティなモデルまで多彩なバリエーションによって、低価格のコンパクトカーとして広い層に支持されました。

2020年にヴィッツ改めヤリスに変更
2020年にヴィッツ改めヤリスに変更

スターレットは、5代目を最後に「ヴィッツ」へバトンタッチ。引き継いだヴィッツは、世界のコンパクトカーを変えたとまで言われた大ヒットモデルになり、さらに2020年には「ヤリス」となって、現在も高い人気を誇っています。


パブリカスターレットが登場した1970年代は、大衆車だけでなく、ユーザーの目が肥えてきて、高級車やスポーティなクルマが求められ始めた時期でした。パブリカからスターレットへの移行は、必然的な進化だったと言えます。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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