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■てんとう虫の愛称で国民的人気を獲得
1958(昭和33)年3月3日、富士重工業株式会社(現株式会社SUBARU)が日本政府の乗用車普及策“国民車構想”に準じた「スバル360」を発表しました。価格は42万5000円。
キュートなスタイルと最新技術を搭載したスバル360は大ヒット、10年にわたり販売トップの座に君臨しました。
●スバル360を生んだスバルの起源
富士重工業の起源は、元海軍機関大尉の中島知久平が1919年に創立した「中島飛行機製作所」です。
終戦とともに飛行機の生産を止め、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で15社に分割。その後、1950年にその中枢が富士産業として再出発し、1953年に飛行機と新たな自動車開発のため、富士重工業が設立されました。
スバル360の開発の指揮を執ったのは、中島飛行機で戦闘用エンジンを設計していた百瀬晋六。多くのクルマの開発を指揮しましたが、最初に手がけたのは国産初のフレームレス・モノコックボディのバス「ふじ号」、その後スバル初の乗用車「スバル360」、リアエンジンが画期的だった商用車「サンバー」、水平対向縦置きFF乗用車「スバル1000」などの開発を統括し、飛行機の技術をベースにスバルの礎を築き上げました。
●日本のモータリゼーションの火付け役となったスバル360
国民車構想に応える形でデビューしたスバル360は、フルモノコックボディやリアエンジンなど大胆な設計思想で、軽自動車としては初めて4人乗車を達成しました。
エンジンは、356ccの空冷2気筒で最高出力16PS、最高速度83km/hを発揮。RR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトを採用し、車重は385kgまで軽量化するなど、随所に航空機づくりで培った高い技術が盛り込まれました。
また実用性の高さに加えて、可愛いスタイルから「てんとう虫」の愛称で呼ばれて大ヒットし、登場後12年にわたり長く人々に愛され続けました。キュートなボディは、軽量化のためにボディパネルを薄くして、その薄さで強度を確保するために平面を極力少なくするという、技術的な狙いから生まれたのでした。
スバル360の大ヒットによって、スバルは自動車メーカーとして基盤を築き、スバル360が日本独自の軽自動車市場を切り開く火付け役になったのです。
●ホンダN360によってトップの座を奪われる
スバル360の後を追従し、マツダ「キャロル」、三菱「ミニカ」、ダイハツ「フェロー」が登場しましたが、スバル360のトップの座は揺るぎませんでした。ところが、1967年ホンダからホンダ初の軽乗用車「N360」がデビューすると状況は一変します。
軽自動車の限られた室内空間を最大限生かせるFFレイアウト、徹底した軽量化、そして高性能エンジンによる卓越した動力性能を発揮したN360は、当時としては画期的でした。
最高出力31PSを発揮する高性能の356cc 2気筒空冷4サイクルエンジンを搭載し、最高速度は115km/h、0→400m加速は22秒と、1.5L搭載車に負けない軽自動車として卓越した動力性能を誇りました。
N360は、広い室内空間と優れた動力性能、さらに安価な価格設定で、発売後2ヵ月で軽のシェア30%を超え、それまで10年間独走していたスバル360からトップの座を奪い取り、スバル360とともに歴史的な軽自動車となったのです。
スバル360には、飛行機をベースにした先進的な技術が惜しみなく投入されています。そんな伝統的社風が、現在のスバルの水平対向エンジンや4WD、アイサイトなどのスバルらしい個性的な技術に生かされているのでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)
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