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■米国で人気のミニバンMPVを日本で発売
1990(平成2)年1月30日、マツダからミニバン「MPV(マルチ・パーパス・ビークル)」が発売されました。1.5ボックス型のボディに7~8人乗車と広い荷室が売りのミニバンは、当時の日本ではまだ珍しい大人数が楽しめるファミリーカーで、ミニバンのパイオニア的な存在でした。
●マツダの創業は、コルク製造から始まった
マツダの起源は、1920年1月30日に設立された東洋コルク工業です。2代目社長の松田重次郎氏が1927年に東洋工業に改称し、自動車の製造に着手。それから50年以上経った1984年に、マツダと改称されました。
自動車の生産は、1931年の3輪トラック「マツダ号」に始まり、1950年には4輪トラックを発売。乗用車への参入は、1960年発売の軽乗用車「R360クーペ」からです。
1967年に世界初の量産ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発売、以降ロータリー車のモデル展開を進め、「サバンナ」「コスモAP」「サバンナRX-7」など名車を世に送り出します。
その後、販売網の5チャンネル化の失敗やフォードとの提携など、紆余曲折がありましたが、2000年以降は再生に成功して、スカイアクティブ技術など、独自の戦略で存在感を放っています。
●マツダ創業70年目に登場したミニバンMPV
マツダ創立から70年後の1990年のこの日、ミニバンのパイオニア的な存在だったMPVがデビュー。当時のミニバンは商用車ベースの派生車で、まだ日本でミニバンブームは起こっていませんでした。乗用車ベースの7~8人乗車と広い荷室が売りのミニバンは、当時としては珍しい存在だったのです。
MPVは、国内発売の2年前に米国で先行販売されて高い評価を得た後、マツダが自信をもって国内に投入したモデルでした。FRベースでV型6気筒3.0Lエンジンを搭載、7人乗員の3列シートは、全席ウォークスルーできる余裕の室内スペースを確保していました。
しかし、米国を意識したシンプルなデザインと実用性を重視した大き目のボディは、狭い日本の道路では扱いにくく、販売は米国のようには伸びませんでした。一方で、スタイリッシュなデザインを採用した同年にデビューしたトヨタ「エスティマ」や、1994年のホンダ「オデッセイ」は、空前の大ヒットを記録しました。
これを機に、車高の低い乗用車のようなミニバンの一大ブームが起こりますが、MPVは評価されるも、うまくその波に乗れませんでした。
●マツダはミニバンから撤退、SUVに注力
その後MPVは、1999年の2代目でFF化してさらにスタイリッシュなミニバンとなり、2006年登場の3代目では爽快な走りのスポーティさを強調して進化を続けてますが、ミニバンブームの中で、期待通り販売を伸ばすことはできず2016年に生産を終了します。
そして、マツダのミニバン3兄弟の残りの2つのモデル、ファミリアをベースにしたコンパクトミニバンの「プレマシー」、両側にスライドドアを備えたミドルクラスのミニバン「ビアンテ」も、2018年に生産を終了しました。
マツダは、これをもってミニバンから完全撤退し、SUVに注力していきます。
ミニバンは、日本では現在も人気の車種ですが、世界的に見ればSUVほど数が出る車種ではありません。中規模メーカーのマツダにとっては“選択と集中“が重要であり、グローバル戦略の中で得意とするSUVに全力投球するという路線を決断したのでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)