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■ラリーでも強さを発揮したスポーティな小型大衆車
1973(昭和48)年1月19日、当時大衆車市場を席巻していたトヨタ「カローラ」や日産自動車「サニー」に対抗するため、三菱から「ランサー」がデビューしました。その名を世界に知らしめたのは、スポーツグレード「ランサー1600GSR」によるWRCでの活躍でした。
●ラリーに参戦することを想定してボディや足回りを強化
「三菱500」で乗用車事業へ参入し、「コルト」シリーズや「ギャラン」の展開で着々と自動車メーカーの道を歩み始めた三菱(当時は、三菱重工)が、「ギャラン」よりワンランク下の大衆セダンとして登場させたのが、ランサーです。
ロングノーズにショートデッキの落ち着いた雰囲気で、パワートレインは1.2L/1.4L/1.6Lの3種のエンジンと4速および5速MTの組み合わせ、駆動方式はFRです。
一方、過酷な走行を強いられるモータースポーツのラリーに参戦することを想定して、ボディは独自開発のフレームレイアウトで構成されたモノコックフレームで剛性を高め、足回りやブレーキも強固にセッティングされました。また、フロアシフトのMTやインパネに3連の円形メーターを配置するなど、スポーティな雰囲気も兼ね備えていました。
●“ラリーの三菱”の礎を築き上げた1600GSR
ベースのランサーから8ヶ月遅れで投入されたのが、ラリー参戦を前提に開発された高性能なスポーツグレードのランサーGSRです。
エンジンは、1.6L直4 SOHCにストロンバーグツインキャブレターを装着して、最高出力110PS/最大トルク14.2kgmを発揮。車重が825kgと軽量なので、ラリーマシンのベースモデルとして優れた動力性能を発揮しました。
WRCに参戦したランサーGSRは、すぐにその実力を発揮。発売されたその年の10月、オーストラリアのサザンクロスラリーで初参戦ながら1位から4位までを独占して総合優勝を飾るという快挙を成し遂げます。さらに、翌年1974年にはWRCのサファリラリーで総合優勝、サザンクロスラリーも連覇。その後、1976年にかけてサザンクロスラリー4連覇、サファリラリー3連覇の偉業を成し遂げました。
WRCを席巻したランサーの名前は、世界に轟き、“ラリーの三菱”という称号を獲得したのです。
●1600GSRの成功がVR-4へ、そしてランエボへ受け継がれる
1600GSRの活躍後、三菱は一旦WRCから撤退し、1980年代には「ランサーEXラリーターボ」で復活しますが、ターボの力だけでは結果は残せませんでした。この頃は、ラリー界に革命を起こしたと言われた4WDターボマシンの「アウディ・クアトロ」が、WRCを席巻していたのです。
時流に対応して三菱は、4WDマシンを用意し「スタリオン4WD」での参戦を計画、フランスのミルピストラリーなど実戦での準備を整えていました。ところが、1986年にWRCで起きたラリー中の事故が発端となり、WRCでのグループBマシンでの競技は終了。結局、スタリオン4WDがWRCの舞台で走ることはありませんでした。
その4WDとターボ技術を引き継いだ「ギャランVR-4」は、1989年からWRCに参戦、5年間で優勝6回という輝かしい成績を残しました。その輝かしい実績と熟成された高性能技術は、1992年に「ランサーエボリューション(ランエボ)」へ引き継がれます。
ランエボは、10代23年間にわたり進化し続け、1996年から4年連続でドライバーズタイトル、1998年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、WRCでの黄金時代を築き、2005年を最後にWRCから撤退しました。
ランエボの活躍は、もとを辿れば、ランサー1600GSRの存在があってのこと。それは、ランエボが1995年にスウェディッシュラリーで初優勝する20年以上も前なのでした。ターボエンジンの高性能技術や4WD制御技術などのラリーで磨かれた多くの技術が、三菱の市販車へフィードバックされてきました。ランサーはそんな流れの源流というわけですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)