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■ロータリー車コスモスポーツが高速道路の取り締まりに
1967(昭和42)年12月13日、マツダ(当時は東洋工業)の量産初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」のパトカーが、高速道路に配備されました。当時は、モータリゼーションによってクルマが増え、交通事故や交通違反が激増。コスモスポーツ以外にも多くのパトカーが誕生しました。
●世界を驚かせたコスモスポーツは世界初の量産ロータリー車
マツダが、世界初の量産ロータリーエンジン搭載車、コスモスポーツを発売したのは、パトカーとしてのデビューより半年前の1967年5月30日です。
ロータリーエンジンは、おむすび型のローターが回転して動力を発生する画期的な機構のエンジンであり、量産化に成功したのは後にも先にもマツダだけです。
コスモスポーツは「走るというより、飛ぶ感じ」のキャッチコピーを体現するような、流線形のシャープなフォルムのスポーツカー。最高出力110PSを発揮するロータリーエンジンで、最高速度185km/h、ゼロヨン16.3秒という圧巻の走りを誇り、パワフルなロータリーエンジンをアピールするのに十分な走りを発揮しました。
その後、マツダは多くのモデルにロータリーエンジンを展開しましたが、年々厳しさを増した排ガス/燃費規制への対応が困難となり、2003年発売の「RX-8」を最後にロータリーエンジンは市場から消えてしまいました。
●日本のパトカーは、ニッサントラックベースから始まった
戦後の混乱時は、治安の悪化によって犯罪が多発していました。この状況に占領軍GHQ(連合国最高司令官総司令部)が、自動車の警ら活動を指示。1950年に警視庁に国産車を改造した無線付きの警ら車(パトロールカー)3台が配備されます。これが、日本初のパトカーです。
ベース車は、ニッサン「180型トラック」をセダン化したもの。ちなみに、パトカーの白黒ツートンは米国製パトカーを真似たものです。ところが、3台は故障が多かったため、その後は、米軍から払い下げたシボレー製パトカーが増えたそうです。
国産車パトカーが続々と登場したのは、1960年代に入ってからで、主力となって配備されたのは「ランドクルーザー」のF型エンジンに載せ替えたトヨタ・クラウンの改造車「パトロールFS20型」、さらに日産「セドリック」、いすゞ「ベレル」などがパトカーのベースとなりました。
そして高速道路が開通すると、スポーツカーもパトカーに採用されるようになります。代表的なのが、日産の「フェアレディZ」や今回紹介している「コスモスポーツ」です。そのほか、高級外車の「ポルシェ911」や「BMW3シリーズ」、覆面パトに「メルセデス・ベンツ」も使われました。
●交通取締用パトカーは、高性能モデルのノーマル車
パトカーには、ルーフ上に固定の赤色灯が装着された街中のパトロールに使われる“無線警ら車”と、その小型版“小型警ら車(ミニパト)”、交通の取り締まりに使われる超高速スペックの“交通取締用4輪車(含む、覆面パト)”の3種があります。
交通取締用4輪車は、交通機動隊や高速道路交通警察隊に所属し、専門の教習を受けた警察官が運転します。そのパトカーは、特別なチューニングが施されているのではなく、基本はノーマル車です。ただし、排気量が大きい高性能車が選ばれているので、一般車ならすぐに追いつくことができます。最近は「NSX」や「GT-R」「WRX STI」「フェアレディZ NISMO」と、日本を代表する高性能モデルが使われ、話題になっています。
当時マツダは、積極的な車種展開やレース参戦などで、ロータリー車の優れた性能をアピールしていました。パトカーとして登場したこのことにも、大きな宣伝効果があったのではないでしょうか。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)