トヨタ「マークII」7代目登場。バブル崩壊の煽りを受けたハイソカー【今日は何の日?10月29日】

■3ナンバーボディにして高級感と高性能を目指した7代目

1992(平成4)年10月29日、ハイソカーブームを牽引した5代目、6代目に続いて、7代目「マークII」が登場。7代目はハードトップのみのラインナップとし、それまでの直線基調から丸みを帯びた高級感漂うソフトなスタイルに変貌しました。

1992年にデビューした7代目マークII、丸みを帯びた上品なウェッジスタイル
1992年にデビューした7代目マークII、丸みを帯びた上品なウェッジスタイル


●ハイソカーブームをけん引した5代目と6代目マークII

1980年代初頭、トヨタの4代目マークIIやソアラが火付け役となり、“ハイソカーブーム”が起こりました。ハイソカーとは、アッパーミドルクラスのスポーティな高級セダンで、高性能エンジンを搭載したハードトップのスポーティなスタイリングと豪華なインテリアが特徴でした。

そのハイソカーブームをけん引したのが、1984年にデビューした5代目と1988年の6代目マークIIでした。

1984年にデビューした5代目マークⅡ,ハイソカーブームをけん引
1984年にデビューした5代目マークⅡ、ハイソカーブームをけん引

5代目は、大型のヘッドランプとフォグランプを組み込んだマスクを持つスポーティなフォルムに、2.0L直6エンジンのDOHCやターボを搭載し、優れた走りで人気を獲得。1985年の月販台数は1万2000台を超え、その後2万台を超えることもありました。

1988年にデビューした6代目マークII、ハイソカーウームで最も売れたモデル
1988年にデビューした6代目マークII、ハイソカーブームで最も売れたモデル

続いて1988年にデビューした6代目は、バブル景気と重なったバブリーなモデルで、歴代マークIIの中で最も多い販売台数を記録しました。装備の高級感に加えて、パワートレインも多彩で、スーパーチャージャーやツインターボ、スポーツツインカムを設定し、エンジンはすべてDOHC24バルブに切り替わりました。

●順調に滑り出した7代目はバブル崩壊で人気に陰りが

1992年のこの日登場した7代目マークIIは、先代まで引き継がれたエッジの効いた直線基調のスタイルから、全グレードが3ナンバー化されて角が取れた丸みを帯びたウェッジシェイプに変貌。フード一体のフロントグリルやハイデッキのリアエンドを採用して、スポーティかつ上品なミディアムセダンに仕立てられました。

エンジンは、1.8L直4と2.0L&3.0L直6、2.5L直6ターボに加えて、2.4L直4ディーゼルターボと豊富なバリエーションを用意。トランスミッションは、4速ATおよび5速MT、駆動方式はFRをベースに4WDも追加されました。足回りについても、4輪ダブルウィッシュボーンや電子サスペンションなど、最新技術が盛り込まれ、快適な乗り心地が実現されました。

7代目マークIIは、発売当初こそバブルの勢いで売れましたが、その後バブル崩壊とともに販売は下降線を描きました。

●その後のマークIIは衰退の一途をたどることに

2000年にデビューした9代目、最後のマークII
2000年にデビューした9代目、最後のマークII

バブル崩壊の後、ハイソカーのような高級セダン市場は縮小し、1996年にセダン復権の役目を担って登場した8代目マークIIは、目新しさよりもベーシックなセダンらしさを追求。さらに、市場の要求に応えて安全装備の充実や燃費向上を図りましたが、目論見通りのセダン復活は実現できませんでした。

2000年に登場した9代目は、もはやクルマ自体の出来栄えとは関係なく、販売は大きく落ち込んでしまいました。遂に9代目を最後に、マークIIブランドは幕を下ろしたのです。


7代目マークIIは、バブル景気の恩恵とバブル崩壊の煽りの両方を経験したモデルでした。バブル景気が、クルマの市場動向にいかに大きな影響を与えたかが、よく分かりますね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる