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■2011年の豪雨の影響で不通だったJR東日本只見線・会津川口〜只見間が、10月1日(土)に運転再開
2011年7月に発生した新潟・福島豪雨により、3つの鉄橋が流失して不通となっていたJR東日本只見線・会津川口〜只見間の復旧工事が完了し、10月1日(土)から11年振りに運転を再開することになりました。現在、運転再開に備えた試運転が行われています。
●昭和初期から45年かけて全線が開業
JR東日本只見線は、福島県の会津若松と新潟県の小出を結ぶ約135kmの長距離ローカル線です。
福島県側は会津線として1926(大正15)年に会津若松〜会津坂下間が開業。1928(昭和3)年に会津柳津、1941(昭和16)年に会津宮下、1956(昭和31)年に会津川口まで延伸しました。
会津川口〜只見間は1957(昭和32)年に電源開発の専用線として開通し、田子倉ダム建設の資材を輸送しました。この区間は田子倉ダム完成後の1963(昭和38)年に、国鉄会津線に編入されました。
一方、新潟県側は1942(昭和17)年に大白川〜小出間が只見線として開業しました。こちらは珪石の輸送で賑わっていました。
残る只見〜大白川間には六十里越という峠がある山深い区間で、長大トンネルを掘って1971(昭和46)年に開通。同時に会津若松〜小出間が只見線となりました。
●急行も運転されていた国鉄時代
国鉄時代は、全区間を運行する急行「奥只見」も1日1往復運転。普通列車が5時間台で走るこの区間を、3時間台で走破していました。しかし豪雪地帯である只見〜大白川間は冬期計画運休となっていて、「奥只見」も冬期は全区間運休となっていました。なお、「奥只見」は1988(昭和63)年に廃止されています。
会津若松〜会津川口間には急行「いなわしろ」も運転していました。「いなわしろ」は福島・仙台に直通していて、会津若松〜会津川口間の利用客が多かったことが窺えます。そんな「いなわしろ」も1982(昭和57)年に廃止されています。
●JR東日本の廃止案に地元が奮起
新潟・福島豪雨では、只見線が被災した箇所は会津坂下〜上条間におよび、2011年7月30日から会津坂下〜小出間が不通となりました。このうち、崩壊した盛土を修復した会津坂下〜合図宮下間の運転を8月7日に再開。
大白川〜小出間も崩壊した切取を復旧して、8月11日から運転を再開しました。ただし、この区間には郡山車両センターの車両が入れなくなったので、新津運輸所の車両が代走で入っています。
12月3日には、会津宮下〜会津川口間の運転を再開。只見〜大白川間は、被災から1年以上経過した2012年10月1日に復旧しました。JR東日本は会津坂下〜会津川口間の復旧費用を約5億円、只見〜大白川間の復旧費用を約2億円と発表しています。
一方、会津川口〜只見間については、鉄橋が3箇所流失するなど被害は甚大で、橋桁の撤去費用だけで約12億円の支出となっていて、復旧費用は約85億円と見積もられ、後に100億円に膨らむと報じられました。当時は黒字経営の鉄道会社には国からの復旧支援が出ないということもあって、JR東日本は会津川口〜只見間の廃止を地元に打診しました。
なぜならば、只見線は1日平均通過人員がJR東日本在来線67線中66位の370人だったからです(2010年度統計)。しかも、会津川口〜只見間は1日平均49人と少なく、費用対効果の問題があったのです。
ちなみに、67位(最下位)だった岩泉線は2010年7月に発生した土砂崩れで列車が脱線。以降運休となり、2014年4月1日で廃止となっています。
JR東日本は、会津川口〜只見間の代走バスを鉄道時代の3往復よりも増やした下り5便、上り6便とし、停留所も3箇所増やして利便性を高めました。
しかし、福島県と沿線市町村が只見線の存続を要望しました。その理由は、豪雪によって国道が寸断された場合の代替ルートとして有用であることが挙げられています。
話し合いの末、2017年に上下分離方式での存続が決定しました。上下分離方式は線路設備を福島県が第三種鉄道事業者として保有して、JR東日本が第二種鉄道事業者として運行するというものです。
復旧費用は福島県が2/3、JR東日本が1/3を負担。復旧後は、線路設備をJR東日本が福島県に無償譲渡します。JR東日本が福島県に支払う線路使用料は、運行経費が赤字にならないよう減免されます。
現在は、災害から復旧しないまま廃止になる路線が数多くあるなか、鉄道として復旧することになった只見線会津川口〜只見間。10月1日からこの区間では1日3往復の列車が走り始めます。
只見線は風光明媚な路線として知られています。乗るも良し、見るも良し。この秋は奥会津に紅葉を見に行くのもいいかもしれません。
(ぬまっち)
※お詫びと訂正(2022年9月1日):本記事初出時タイトルに不通の原因を地震としていましたが、正しくは豪雨によるものです。ここに訂正してお詫び申し上げます。