トヨタ「カリーナED」デビュー。EDは、“エキサイティング・ドレッシー”の略【今日は何の日?8月20日】

■4ドアハードトップ旋風を起こした初代カリーナED

1985(昭和60)年8月20日、4代目「セリカ」の誕生とともに、そのプラットフォームを活用した兄弟の「カリーナED」がデビューしました。4ドアでありながら、スポーティでタイリッシュなクーペスタイルが、広い層のユーザーに支持されて大ヒットを記録しました。

1985年にデビューした初代カリーナED。4ドアハードトップでセンターピラーレスが特徴
1985年にデビューした初代カリーナED。4ドアハードトップでセンターピラーレスが特徴

●セリカのセダン版として登場した初代のカリーナ

「カリーナ」は、1970年にセリカのセダン版、「カローラ」と「コロナ」の中間に位置するモデルとして誕生しました。主要なシャシー部品やエンジンラインナップをセリカと共用化し、絶対的な性能ではセリカに一歩譲るものの、軽快な走りを発揮しました。

1970年にデビューした初代カリーナ
1970年にデビューした初代カリーナ

スタイリングは、当時流行のロングノーズ&ショートデッキのセミファストバックを採用。エンジンは、1.4L直4 OHCが中心でしたが、スポーティモデルの1600STには1.6Lの2連式キャブ仕様もラインナップされました。派手さは好まないが、性能的にはレベル以上を求めるユーザーから人気を獲得。その後、1977年に2代目、1981年に3代目、1984年にFFの4代目へと進化しました。

●4ドアでありながら車高の低いクーペのようなハードトップ

1985年に登場したカリーナEDは、実質的には3代目「カリーナクーペ」の後継であり、プラットフォームはFFに代わったセリカと共用化し、セリカの兄弟車という位置づけでした。

1985年に登場した4代目セリカ。カリーナEDは、セリカとプラットフォームを共用化
1985年に登場した4代目セリカ。カリーナEDは、セリカとプラットフォームを共用化

“4ドアでありながら、クーペのフォルム”のキャッチコピーでデビューしたカリーナED。ファストバックの3ドアハッチバックのセリカに対して、カリーナEDはトヨタ初のセンターピラーレスの4ドアハードトップを採用。4ドアながら、車高はカリーナ・セダンより55mmも低く、セリカより15mm高いだけという、4ドア車としては世界で最も低い1310mmの車高でした。

パワートレインは、1.8L直4 SOHCと2.0L直4 DOHCの2種のエンジンと、4速ATおよび5速MTの組み合わせが用意されました。

車高が低いぶん、室内空間は4ドアセダンより劣りましたが、2ドアクーペよりも使い勝手がよく、何よりもスタイリッシュさが魅力で、約4年間で26万台を超える大ヒットモデルとなりました。

●ハイソカーとは一線を画したカリーナED

1984年に登場した5代目マークII。ハイソカーブームをけん引
1984年に登場した5代目マークII。ハイソカーブームをけん引

1985年代半ばの日本は、空前のバブル景気に火がついた頃。市場では「マークII 3兄弟」に代表される”ハイソカー”の大ブームが起こっていました。ハイソカーは、ミドルアッパーの4ドアハードトップが特徴で、とにかくゴージャスが売りの、みんながちょっと背伸びして手に入れたクルマでした。

一方のカリーナEDは、お洒落でスポーティな4ドアハードトップで、背伸びしない若者のデートカーとして、また子どもを持つクルマ好きのヤングファミリー層から支持され、ハイソカーとは一線を画したモデルでした。それだけに個性的であり、広い層から支持されました。


それまでの野暮ったい4ドア車のイメージを一蹴して、デートカーとしてもてはやされた2ドアクーペに負けない4ドアのスタイリッシュなクルマ、それがカリーナEDでした。ある意味、革新的なモデルと言えますね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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