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■ヒットラーの掲げた国民車構想に準じた大衆車「タイプ1」が完成
1938(昭和13)年7月3日、前年に国策企業として誕生したVW(フォルクスワーゲン)がタイプ1(ビートル)の原型となるプロトタイプを完成し、大々的に発表しました。タイプ1の開発を指示したのは、当時国民車構想を掲げていたナチスドイツの首相アドルフ・ヒットラーであり、その開発を依頼されたのは、後にポルシェを創業するフェルディナント・ポルシェでした。
●ヒットラーの国民車構想とフェルディナント・ポルシェ
1933年にドイツの首相に就任したアドルフ・ヒットラーは、国民全員がクルマを所有するという目標達成のため、「国民車構想」を掲げました。その小型大衆車の開発を依頼されたのが、フェルディナント・ポルシェでした。ヒットラーが考えた小型車の条件は厳しかったのですが、ポルシェは1934年正式に開発を受諾します。
ポルシェは、ダイムラー・ベンツを退職後、1931年に設計コンサルタント会社「ポルシェ」を設立し、国内外から多くの委託開発を手掛けていました。ポルシェと言えば高級スポーツカーを連想しますが、創業時のポルシェはスポーツカーだけでなく、大衆車や電気自動車、さらには航空機用エンジン、戦車まで手掛けた多才な技術者であり、後に「20世紀最高の自動車設計者」と称賛されるようになりました。
●タイプ1(ビートル)の本格的な量産化は第2次世界大戦後から
一方タイプ1を製作したのは、VWでした。VWは、1937年に自動車産業の推進を目指したヒットラー政権のもと、国策企業として誕生しました。ちなみに「フォルクス(国民・大衆)ワーゲン(車)」は、国民車を意味します。
ポルシェの設計に基づいて、翌1938年にタイプ1の原型となるプロトタイプが完成。もともとクルマ好きであったヒットラーはポルシェの技術力を称賛し、その車に「KdF-Wagen(歓喜力行団のクルマ)」という名前を付けます。歓喜力行団とは、当時のドイツ国民に余暇活動を提供した組織の名前です。VWはタイプ1の量産化に着手しましたが、第二次世界大戦の勃発によって市販化は実現せず、軍部の要人のための少数生産にとどまりました。
そして戦争が終わった1945年、廃墟だった工場が英国の機転により復活し、月産1000台のペースで「VWタイプ1」の量産化が始まったのでした。
●1950年代以降タイプ1は空前の大ヒットモデルに
発売されるや否やタイプ1は、「ビートル」の愛称で親しまれ、世界中で大ヒットします。1955年には累計100万台を達成、ドイツ戦後の復興にも大きく貢献しました。
日本では、1952年からヤナセが輸入販売を始めましたが、当時の日本ではまだ高価なクルマだったので、お医者さんのクルマとして重宝されたそうです。1958年に名車「スバル360」がデビューしましたが、こちらは「てんとう虫」の愛称で爆発的な人気を獲得しました。その姿から、ビートルを参考にしたのは、一目瞭然ですね。
タイプ1の累計販売台数は1941年~2003年の62年間で2152万台9464台、4輪の単一モデルとしては他に類のない史上最多の記録を樹立しています。ちなみに、車名が同じ単一モデルとして最多の累計販売台数を誇るのは、トヨタのカローラで、1966年~2021年11月で5000万台を突破しています。
水平対向4気筒エンジンを搭載したRR(リアエンジン・リアドライブ)、バタバタ音で走る黄色いビートルに憧れた人もいたでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)