日産ローレルにハードトップが追加。トヨタ・マークIIに対抗した日本初のスペシャルティカー【今日は何の日?6月22日】

■ハイオーナーカー「ローレル」にピラーレスハードトップを追加

1970年6月22日、日産は2年前にデビューしていた初代ローレルに、日本初のスペシャルティカーを謳ったハードトップを追加しました。トヨタマークIIに対抗するため、同じピラーレスハードトップモデルを設定したのです。

1970年にデビューした日産初のハードトップモデル「ローレルハードトップ」
1970年にデビューした日産初のハードトップモデル「ローレル ハードトップ」

●ハードトップで出遅れた日産

世界で最初に2ドアハードトップを採用したのは、1949年に登場した「キャデラック・クーペ・ドゥビル」とされ、日本では1965年にデビューしたトヨタの「トヨペット・コロナ ハードトップ」が最初です。その後、1968年に「コロナ マークII」と「クラウン」、1969年のマツダルーチェ」、1970年に三菱「コルト・ギャラン ハードトップ」と続きました。日産はハードトップの採用に遅れ、ローレル ハードトップが最初だったのです。

●ハイオーナーセダンのローレルの登場

1960年代中盤以降、日本では高度経済成長によって高速道路の整備が進み、モータリゼーションに火が付きました。クルマの保有が急速に進み、上級志向のクルマが好まれるようになりました。

1968年にデビューしたハイオーナセダンの初代「ローレル」
1968年にデビューしたハイオーナセダンの初代「ローレル」
1968年にデビューしたピラーレス2ドアーハードトップのコロナマークII
1968年にデビューしたピラーレス2ドアーハードトップのコロナマークII

そのような中、日産は「ブルーバード」のワンランク上で「セドリック」の下に位置する上級車ローレルを、「ハイオーナーセダン」というキャッチコピーを掲げて1968年4月に市場に投入。当時としては先進的な技術を備えていた初代ローレルでしたが、半年後に登場したトヨタ「コロナ マークII」に圧倒され、販売は伸びませんでした。4ドアセダンのみでエンジンも1.8Lのみ、一方のマークIIにはセダンに加えて2ドアハードトップが用意され、バリエーションが豊富でした。マークIIが採用したハードトップは上級志向のユーザーの心を掴み、マークIIはハイオーナーカーのトップの座に君臨したのでした。

●マークIIに対抗してローレルにハードトップモデルを追加

ローレルハードトップのリアビュー。テールランプが曲がる方向に順次点滅するシーケンシャルフラッシャーを装備
ローレルハードトップのリアビュー。テールランプが曲がる方向に順次点滅するシーケンシャルフラッシャーを装備

人気のマークIIに対抗するため、日産は2年後の1970年に「日本初のスペシャルティカー」を謳った2ドアのローレルハードトップを追加します。ピラーレスハードトップを採用することで、従来の4ドアセダンとは異なるスポーティで流麗なスタイリングに変貌。エンジンも従来の1.8L直4OHCに加えて、2.0L直4OHCを追加搭載し、パワーアップを図りました。インテリアはフライトコックピットタイプのインパネにウッドステアリング、オプションでパワーウィンドウを装備し、ハイオーナーカーらしさが演出されました。

スタイリングとパワーを向上させたローレル ハードトップでしたが、マークIIの牙城は崩せませんでした。マークIIの方が、スタイリングも走りもスポーティだったためでしょうか。


ローレルは、ブルーバードとセドリックの中間を狙ったモデルでしたが、風貌がスカイラインやブルーバードに似ていたため、中途半端な印象がありました。結局、ローレルはその後8代目、2002年まで販売されましたが、最後まで位置づけが曖昧だったように思いますね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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