トヨタのコンパクトミニバン「シエンタ」、小さなボディに3列7人乗りが特徴【トヨタ・シエンタとは】

■発表間近のウワサあり、新型シエンタ登場前にその歴史をひもとく

●トヨタとは:紡織から始まった世界最大の自動車メーカー

豊田喜一郎
現社長の豊田章男氏の祖父に当たる豊田喜一郎氏

現在のトヨタ自動車の社長である豊田章男氏の曾祖父にあたる豊田佐吉氏は、1890年に豊田式木製人力織機を発明し特許を取得。発明に没頭、苦労しつつも豊田紡織を立ち上げるなどトヨタグループの基礎を築き上げます。

佐吉氏の長男である喜一郎氏は、豊田紡織に入社します。喜一郎氏は1926年に設立された豊田自動織機製作所の常務となります。

1933年には豊田自動織機製作所内に自動車製作部門を設置、1935年には第一号車となるトヨダAA型乗用車を製造。1937年に自動車製作部門がトヨタ自動車工業となります。

1938年には挙母工場(現本社工場)を設立するも、1939年には第二次世界大戦に突入してしまいます。終戦前日の1945年8月14日には、空襲によって挙母工場の約4分の1が破壊されてしまいます。

豊田式木製人力織機
豊田式木製人力織機
トヨダAA型
トヨタではトヨダのブランド販売されたAA型

同年9月にはGHQがトラックの製造を許可、12月には民需転換の許可を得ます。1947年には戦後初の新設計車であるトヨペットSA型を製造、1955年には純国産車であるトヨペット・クラウンの製造を開始します。

少し時代が前後しますが、トヨタ自動車工業は1940年代に経営危機を迎えています。

この危機を脱するための最大の方策が、販売部門の分離でした。1950年にはトヨタ自動車販売を設立、1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売株式会社が合併して現在のトヨタ自動車になるまで、製造部門と販売部門は別会社だったのです。

1950年には1万2000台に届かなかったグローバル生産台数が、1959年には10万台超え、1961年には20万台超え、1968年には100万台超えと台数を伸ばし、衰えることなく2007年には850万台超となります。

この生産台数はトヨタ自動車のもので、協力企業で生産される車両も存在するため、販売台数はさらに多くなります。現在、トヨタのグローバル販売台数は1000万台超で、2020年、2021年と2年連続で世界最多となっています。

●シエンタとは:ファミリーカーとして要件を追求したモデル

初代シエンタ
キュートな顔付きが与えられた初代シエンタ

総合自動車ブランドであるトヨタは、つねに仕事や生活に根ざしたクルマをラインアップしています。シエンタはそんな生活感にあふれたモデルです。

初代のシエンタは2003年に登場します。シエンタは3列シートの5ナンバーコンパクトトールワゴン。シエンタ以前は、イプサムやカローラスパシオといったモデルがこのタイプを担当していましたが、イプサムの役目はノアに統合、カローラスパシオの役目はシエンタが継承、というような動きがありました。これは、当時のヴィッツのプラットフォームを上手に利用するという目的もありました。

初代シエンタはヴィッツベースではあるのですが、もっと突っ込んだ見方をすると、ヴィッツのバンベースです。ヴィッツにバンは存在しませんが、欧州モデルとしてヤリスの商用バンバージョンであるヤリスヴァーソというモデルがあり、そのヤリスヴァーソをワゴン化したといってもいいでしょう。

日本でステーションワゴンが流行した時代に「ワゴン専用設計」という血統がもてはやされましたが、じつは商用バンをベースとすることで丈夫でしっかりしたクルマを作ることができます。今、大人気となっているルノー・カングーもその血統をさかのぼると、ルノー・エクスプレスという商用バンモデルにたどり就きます。

シエンタダイス
2018年に追加されたシエンタのグレードダイス(右手前)と標準タイプのシエンタ(左奥)

2003年に登場した初代シエンタは直列4気筒1.5リットルエンジンのみで、FF仕様がCVTで110馬力、4WD仕様が4ATで105馬力というスペックでした。

ボディは5ナンバーサイズを採用、乗車定員は7人。Aピラーよりも後方は1ボックスワゴンのようなフラットなパネルを用いて、スペース効率を追求したデザイン&パッケージングでしたが、Aピラーよりも前のフロントセクションは、丸形ヘッドライトに曲面を組み合わせた優しいデザインとなっていました。

ファンカーゴの流れを汲むこのデザインは、主婦層を中心とした女性には支持されましたが、男性ユーザーからは敬遠されます。そこで、2011年のマイナーチェンジではフロントまわりのデザインをシャープに仕上げたDICE(ダイス)というグレードを追加。男性にも乗りやすいクルマとなりました。

ダイスグレードの成功もあってか、2018年に導入された2代目のシエンタは、アーモンド型の後退配置されるヘッドランプに、大型のグリルをまとったキリリとした顔付きになりました。ボディパネルも抑揚のあふれるものへ。なによりもインパクトがあったのが、ボディカラーの訴求色に蛍光色のエアイエローという色を使ったことです。現在も採用されているボディカラーですが、当時のファミリーカーで、こうしたビビッドな色を使ったのは衝撃的でもありました。

2代目シエンタ
ビビッドなエアイエローを採用した2代目のシエンタ

2代目シエンタのパワートレインは、直列4気筒1.5リットルのピュアエンジンがFFと4WD、直列4気筒1.5リットルにモーターを組み合わせたハイブリッドがFFのみという設定です。初代と異なり、ミッションはすべてCVTとなりました。

多くのクルマが3ナンバーサイズに肥大していくなか、シエンタは5ナンバーサイズを維持。基本のシート配列は3列7名ですが、6名定員モデルも設定。サードシートを廃したファンベースというモデルも2018年に追加しています。

2rdシエンタ インパネ
未来感のあるデザインが施された2代目シエンタのインパネ

このシエンタではユニバーサルデザインが重視され、ありとあらゆるタイプの人が使いやすいデザインや装備が採用されています。そのパッケージングのよさからも、パーソナルユースの介護仕様の車いす仕様車も人気。また、この車いす仕様車は介護タクシーとして利用する業者も多くいます。

シエンタ福祉車両
スロープタイプの車いす仕様車に助手席回転シートを組み合わせた仕様
セーフティエディションII
スポーティなセーフティエディションII

2015年登場でじつに7年の歴史を持つシエンタは、2022年5月の登録台数が4000台強で順位は7位とまだまだ好調です。現在は約1年前に投入されたブラックアイテムと安全装備を充実させたセーフティエディションII(GおよびファンベースG)も人気となっています。

とはいえ、そろそろモデルチェンジのウワサも聞こえてきました。クリッカーでは新車発表後にさらにこのコンテンツを充実させていきますので、ご期待下さい。

(文:諸星 陽一

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諸星陽一

1963年東京生まれ。23歳で自動車雑誌の編集部員となるが、その後すぐにフリーランスに転身。29歳より7年間、自費で富士フレッシュマンレース(サバンナRX-7・FC3Sクラス)に参戦。
乗って、感じて、撮って、書くことを基本に自分の意見や理想も大事にするが、読者の立場も十分に考慮した評価を行うことをモットーとする。理想の車生活は、2柱リフトのあるガレージに、ロータス時代のスーパー7かサバンナRX-7(FC3S)とPHV、シティコミューター的EVの3台を持つことだが…。
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