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■ロンドン・パリ間を3時間で結ぶユーロトンネルが開通
1994(平成6)年5月6日、英国・ブリテン島とフランス・カレーをつなぐ鉄道海底トンネル「ユーロトンネル」が開通しました。全長42.5kmの海底トンネルによって、高速列車ユーロスターがロンドンとパリ間を片道約3時間で往来できるようになりました。海底部分は37.5kmで青函トンネルより長いですが、総延長は青函トンネルが53.85kmで世界一です。
5月6日には、マラソンの高橋尚子、ドリカムの吉田美和、女優の中野良子、宇宙飛行士の向井千秋、作家の井上靖、米俳優のジョージ・クルーニー、ミュージシャンのカーメン・キャバレロ、映画監督のオーソン・ウェルズなどが生まれています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●スーパーアグリがF1撤退、鈴木亜久里の挑戦が幕を下ろす!
2008(平成20)年5月6日、鈴木亜久里代表が「スーパーアグリF1チーム」のF1からの撤退を発表しました。
スーパーアグリは、日本人で初めてF1の表彰台に上がったドライバーの鈴木亜久里によって設立されました。ホンダから技術面・金銭面でバックアップを受けながら、2005年11月にF1へのエントリーを申請。2006年からF1に参戦し、初年度のポイント獲得はできませんでしたが、2年目の2007年には第3戦スペインGPで佐藤琢磨が8位入賞で初ポイントを獲得。さらに6戦カナダGPでも佐藤が6位となり、わずか2年ながら2007年のランキング9位という快挙を成し遂げます。
しかし、2007年初頭からパートナーのSS United Group Company Limitedの契約不履行により、チームは経済的に厳しい状況に追い込まれます。新しいパートナー探しを続けながら、活動を続けるも結局運営基盤を立て直す目途が立たず、やむなく撤退となったのです。メーカーでも維持することが困難なF1で、プライベーターとして例え2年半という短い活動でも、日本人が日本のチームでF1を戦うという夢を叶えてくれました。
●経営状況が悪化したポルシェとVWが経営統合することで合意!
2009(平成21)年5月6日、フォルクスワーゲン(VW)はポルシェと経営統合することで合意したと発表しました。
VWとポルシェの関係は長く、1946年に量産化したVWの「タイプ1(ビートル)」の設計者は、ご存じのようにかの有名なフェルディナント・ポルシェ博士です。ポルシェ博士は、当時のナチス政府から国民車(フォルクスワーゲン)の設計を依頼され、世界的な大衆車ビートルを完成。そのライセンス料で現在のポルシェの基盤を築き、高級スポーツカーメーカーへと発展させたのです。
いっぽうでビートルは世界的にヒットしたものの、その後VWの業績は伸びず、1970年代に入ると経営危機に陥ります。1974年の「ゴルフ」でいったん持ち直しますが、その後も厳しい状況が続き、それを助けたのがポルシェでした。2005年にはポルシェがVWの株式の20%を取得し、実質的にVWはポルシェの傘下に収まります。
ところが2008年のリーマンショックの影響などで、今度はポルシェの経営状況が悪化したので、2009年に経営統合という道を選んだのです。その後、2012年8月にはVWがポルシェの株式すべてを取得し、ポルシェはVWの完全子会社になります。世界トップの販売を争うVWと、憧れの高級スポーツカーを作るポルシェですが、長い歴史でみれば順風満帆とはいかず“山あり谷あり”なんですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)