「フェアレディZ」レース復活に振り返る 初戦はフォードGT40との対決、Z誕生当時の衝撃的レースシーン【モータースポーツ龍宮城・ゲート1】 

■フェアレディZがレースの檜舞台に戻ってきたゾ!

2022年SUPER GTシリーズ開幕戦岡山国際サーキットのNISSAN Z GT500
2022年SUPER GTシリーズ開幕3位のNISSAN Z GT500

日産のフェアレディZが、日本での人気自動車レースの大本命であるスーパーGT選手権に復活しました。

シリーズ開幕の岡山国際サーキット(4月16日~17日)での初戦は総合3位。復活が語られることは、尊いものです。先般のイエス・キリスト復活祭イースターを思い浮かべればしかり。フェアレディZの神々しさはどこにあるのか、モータースポーツの現場でのZを少しばかり振り帰ってみましょう。

●スポーツカーとは何かを知らしめた初代フェアレディZ

今は昔、モータースポーツには絵にもかけない美しさがありました。

クルマ好きなら誰でも知っている日産フェアレディZは、初代が1969年に登場しました。今年の東京オートサロン2022でお目見えし話題になった新型はいよいよ6月に市販が開始されますが、この新型は7代目に当たります。

自動車の未来がカーボンニュートラルに動いている世情もあり、これが最後の内燃機関エンジン技術集大成スポーツカーなのかもしれませんし、現在のあらゆる技術ともどもひっくるめて出来上がった、まさに歴史的なスポーツカーの「Z」でしょう。それだけに、半世紀ほど前からのZの足跡を振り帰ってみたくなります。

初代フェアレディZ432
初代フェアレディZ432

スポーツカーといえば憧れのクルマであった昭和の中頃には、クルマが家電的要素にも彩られている現在とは違った価値観がありました。

それをあらわしていたのが1969年に「ピュアスポーツ」として走りの追求に特化し現れた、フェアレディZでしょう。好きな人には誰にでもいきわたらせようという信念を提示している様々なバリエーションがありました。

フェアレディZは速く駆け抜ける姿が美しいロングノーズ、ショートデッキのフォルムに仕立てあげられました。

世界一美しいクルマとして数々のデザイン賞団体のお墨付きも得てゆく1960年代初頭に現れた、ロングノーズが象徴的フォルムであったスポーツカーに、ジャガーEタイプがありますが、これをひとつの手本とするような影響がZにはあったのかもしれません。

しかし、速く走るために空力特性を突き詰め、秀逸なエンジンを前のボンネット下に鎮座させてクルマを完成させてゆけば、必然的にスポーツカーとしての流麗な姿に行き着いてしまうものではないでしょうか。だからこそZ特有の美が生じたと言えるでしょう。

1970年1月の鈴鹿300kmレース
フェアレディZ432デビュー戦は1970年1月の鈴鹿300kmレース

●誰もに夢をあたえてくれるような「いでたち」

市販価格はエンジンやノーズ形状、オーバーフェンダーなどの違いなどにより、スタンダードものからレーシングバージョンなど、最も廉価なもののおよそ2倍ほど高額なものまでといろいろな車種が備えられていました。

2リットルOHCエンジンの廉価車種あたりは80数万円ほどで、70年代初頭の一般的サラリーマンの年収1年分およそ100万円以内におさまる価格でありました。1960年に池田内閣から掲げられた「所得倍増計画」も、実質的に1967年には達成されていたという時代、誰もがなんとか手に入れたくもなるものでした。

それでも2L直6のS20型DOHCエンジン(160ps/18kg-m)を搭載する高性能モデル「Z432」のさらにスペシャルものは、タイヤも大径でスペシャルトレッド、ホイールもスチール製でなくマグネシウム製であったり、フロント下部に整流板がついていたりなどで、価格は上記廉価車種の2倍以上となる185万円もしたようです。

こちらのエンジンは、当時連勝を続けレース界に君臨していたスカイライン2000GT-Rが搭載していたS20型エンジン。4バルブ、3連キャブ、2カムシャフトのテクニカルな持ち味を印象付ける数字の連番432が名前に表現されているZでした。

レース仕様フェアレディZ432のS20型エンジン
レース仕様フェアレディZ432のS20型エンジン

そもそもフェアレディは、1963年の第1回日本グランプリレース、鈴鹿サーキットで開催された日本初の本格的レース大会で、1300~2500ccのスポーツカークラスに、日産モータースポーツクラブの田原源一郎がフェアレディ2000で出場し、トライアンフ、フィアット、MGを相手に優勝を遂げるという実績があります。以後、スポーツカー部門でレース活躍を続けていた常連でした。

ちなみに、この日本グランプリに設けられていた排気量2501cc以上のクラスのスポーツカーレースには、ジャガーEタイプも参戦し勝利しています。

そんな先代のフェアレディへ、7年ぶりのフルモデルチェンジが施され「Z」の称号があたえらた「フェアレディZ432」が日産の最高峰スポーツカーとして1969年に放たれてきたのです。

●世界の強者マシンに突き刺さるキャラクター

勝つことによって性能とメーカーブランドとをアピールし、ファンたちをクルマ購買に誘うレース、その広告効果の重要性が自動車メーカーに痛切に受け止められていた当時、観客たちがサーキットの現場に駆けつけて目の当たりにする印象はやはり、絵にもかけないほど強烈でした。

オートスポーツ誌1970年3月号
オートスポーツ誌1970年3月号でのフェアレディZ432デビュー・ページ

1970年の1月に早くも、Z432は鈴鹿300kmレースにデビューしました。時に小雪のちらつく天候で、レースはスタート前に距離が短縮されることになり210kmに。

1970年鈴鹿300km、フェアレディZ432を追うフォードGT40
1970年鈴鹿300km、フェアレディZ432を追うフォードGT40

Zはまだホモロゲーションを得ていない早急な参戦で、本来のスポーツカーのGTクラスでなく、プロトタイプレーシングカーと同じRクラスでの参戦でした。ドライバーは日産ワークスの北野元で、予選4番手につけました。

いきなりの実戦テストともいえるレースで、2分31秒0でポールポジションを奪った松永邦臣の排気量3リッターのポルシェ906スパイダーとは性能差があり、離されるいっぽうでした。とはいえ、1周目から2位に上がってホームストレートを行く北野のZ。

1970年鈴鹿300kmスタートシーン。
1970年鈴鹿300kmスタートシーン。ポルシェ908、ベレットRが2台、フェアレディZ432と続く。好スタートのブルーバードSSSが後方に。

当時の耐久レースはル・マン式スタートという、ドライバーが競技車両に駆けより乗り込むものが多く、『スタート・ユア・エンジン!』という段階をふむものではないため、予選タイムで順当に第1コーナー争いになる展開というよりは、スターティンググリッド上位陣がなだれ込むのも茶飯事。

こうしたスタートでしたので序盤には、スタート時にやや出遅れていた追い上げる田中健二郎のフォードGT40がいたのです。パワーある5LエンジンのGT40、前の年のル・マンで勝利を奪っているあのフォードGT40と同じ車種、デビュー戦のZ432 との数周に及ぶ強かな2位争いのバトルは、6周にわたり続いていき、観衆を沸かせていったのでした。

●日産の威信をかけたピュアスポーツ旋風

同レースには、かたや北野と同じ日産のワークスチームドライバーとして、高橋国光のスカイラインGT-Rもツーリングカークラスで混走していました。ZとGTーRは互いに同エンジンのS20搭載車ですが、予選タイムはZ432がGT-Rを1.8秒上回る2分38秒7。初出場のZの戦績は残念ながら2番手争い中に、トラブル車がコース場に撒いてしまったオイルに足をとられてのスピンに巻き込まれリタイアでした。

外観から見れば、羊の皮を被った狼と言われるGT-Rは、ハコスカの愛称で親しみを持たれてゆきますが、セダンではない流麗なスポーツカー「Zの皮を被ったS20エンジン」は明らかに速い、と思われたことでしょう。

1970年レース・ド・日本6時間レース
1970年レース・ド・日本6時間レースのフェアレディZ432

Z432は1970年4月12日のレースド日本(富士)で、国内JAF戦初勝利(スポーツカー)を遂げます。特殊グランドツーリングカーと特殊ツーリングカーの混走耐久レースであったここには、新たにマツダのロータリークーペが片山義美などで初参戦してもいます。

GT-R、フェアレディ2000、いすゞベレットGTR、トヨタ1600GT、パブリカSLなどの参戦車のなか、トップ争いはZ432勢とGT-R勢の展開になっていましたが、6時間後のチェッカーが降られる直前まで、走行距離を争う各車のバトルは手を緩めませんでした。

結局、作戦どうりに北野元/長谷見昌弘のZ432が走りきり優勝。この春、日産ワークスに導かれた若き長谷見の快挙でもありました。

1970年レース・ド・日本6時間レース優勝の北野/長谷見
1970年レース・ド・日本6時間レース優勝の北野/長谷見のフェアレディZ432

こうして一気に檜舞台にあらわれてきたZ432。高回転域での性能を誇るS20エンジンであったようで、終盤燃費への配慮もあるペースダウンの指示が出されても、「Zは回転を落として走れないのです」というコメントもあったとのことです。

勝利を遂げたとはいえ、走る実験場でもあったレース、当然ながらZはすぐさま対策を進めていったわけです。そこからまた、Z432から240Zへという次なる大きなストーリーが生まれてきました。

(文:游悠齋/写真:日産自動車、AUTOSPORT、SAN-EI Photo Archives フェアレディZ 1970)

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