日本初のダービー開催/演劇界の風雲児つかこうへいが生まれる/日本の名車・スカイラインの初代デビュー!【今日は何の日?4月24日】

■競馬界の最高峰レース

1932(昭和6)年4月24日、東京・目黒競馬場において日本初のダービー「第1回東京優駿大競争」が開催されました。ダービーはもともと、12代ダービー伯爵が1780年に始めた、サラブレッド3歳馬のNO.1を決める英国競馬界最高峰のレース。それを、世界各国が倣って「ダービー」という名目で開催されるようになったのです。記念すべき第1回のダービーは、一番人気であった「ワカタカ」が優勝しています。

4月24日には、サッカーの田中マルクス闘莉王、俳優の嶋田久作、劇作家のつかこうへい、映画監督の神代辰巳、デザイナーの桂由美、作曲家の服部公一、米シンガーのバーバラ・ストライサンド、米女優のシャーリー・マクレーンなどが生まれています。本日紹介するのは、つかこうへいです。

●劇作家で演出家、直木賞作家でもあるつかこうへいが誕生

つかこうへいは、1948(昭和23)年4月24日に福岡県飯塚市で生まれました。高校時代から新聞部の部長として「反逆児」と題した流行や通俗的な考えを批判するコラムを執筆。慶応大学に進み、在学中からアングラ劇団の劇作家や演出家として活動を始め、1973年、文学座で上演した「熱海殺人事件」で岸田戯曲賞を史上最年少で受賞。この頃から演劇界で注目されるようになり、人気劇作家になります。

1974年に劇団つかこうへい事務所を設立、「ストリッパー物語(1975年」」や「鎌田行進曲(1980年)」などのヒット作を次々と書き下ろして自ら演出を行い、1970年代~80年代初めにかけて、つかブームを巻き起こします。また1982年には、小説「鎌田行進曲」で直木賞を受賞し、小説家としての才能も開花。その後も精力的に公演をこなしながら、激しい指導で風間杜夫や平田満、阿部寛など多くの実力派役者を育て、また内田有紀や石原さとみなど、アイドルを演技派女優に脱皮させたことでも有名でした。

2010年、多くの門下生である役者に惜しまれながら、62歳の若さでこの世を去りました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●ここから歴史は始まった。初代スカイラインがデビュー!

1957年(昭和32)年4月24日、富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)から、初代「スカイライン」が発売されました。日本の自動車史で重要な役割を果たした名車中の名車であるスカイラインは、ここから始まったのです。

1957年にデビューした初代スカイライン
1957年にデビューした初代スカイライン
初代スカイラインの後ろ外観。オールデイズのアメ車風スタイリング
初代スカイラインの後ろ外観。オールデイズのアメ車風スタイリング

初代スカイラインは、当時の先進技術すべてを盛り込んだ画期的なモデルでした。高い技術は、富士精密工業の前身がもともと中島飛行機であること、多くの優秀な航空機技術者がいたことに起因します。スタイリングは、テールフィンを持つボリューム感のあるアメリカンスタイルを採用。パワートレインは、60PSを発揮する1.5L直4OHVエンジンと3速MTの組み合わせ。最高速度は国産乗用車最速の125km/hを誇りました。足回りはフロントにダブルウィッシュボーン、リアはド・ディオンアクスルという乗り心地に優れた仕様でした。

1972年にデビューした4代目スカイライン(ケンメリ)
1972年にデビューした4代目スカイライン(ケンメリ)
1968年にデビューした3代目スカイライン(ハコスカ)
1968年にデビューした3代目スカイライン(ハコスカ)

スカイラインの人気が爆発したのは、ご存知のように3代目通称「ハコスカ(1968年)」と4代目「ケンメリ(1972年)」からですが、初代から爽快な走りと乗り心地の良さは他を圧倒していました。ハコスカやケンメリとは全く違う、初代の丸みを帯びたアメリカンスタイルも、なかなかいいですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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