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■20回も架け替えられた日本橋!?
1911(明治44)年4月3日、日本橋がそれまでの木造から花崗岩の石橋に架け替えられ、開通式が行われました。日本橋は、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の5つの街道の拠点となっている橋で、初代は1603年に架設。しかし江戸は火事が多かったことから何回も焼け落ち、現在の石橋は20代目に当たるらしいです。
4月3日には、俳優の大泉洋と田辺誠一、野球の高橋由伸と上原浩治、日産スカイライン開発者の桜井眞一郎、国語学者の金田一春彦、米俳優のエディ・マーフィーとマーロン・ブランドなどが生まれています。本日紹介するのは、桜井眞一郎です。
●日産スカイラインの生みの親、桜井眞一郎が誕生
桜井眞一郎は1929(昭和4)年4月3日、神奈川県横浜市で生まれました。1947年に横浜工業専門学校(現、横浜国大工学部)に入学。1951年卒業時は自動車メーカーからの求人がなく、やむなく清水建設に入社しますが、翌年1952年、たま自動車に転職します。その直後、たま自動車は改称し、プリンス自動車となります。
桜井はここで、1967年に発売された初代スカイラインの開発に関わり、3代目から7代目(終盤に病で抜ける)までは開発責任者を務めました。1968年、日産とプリンスの合併後に発売された3代目スカイラインは、角ばったボディから後に「ハコスカ」と呼ばれ、今でもクルマ好きには憧れのクルマ。4代目スカイラインは、丸型4灯のテールランプが特長で、「ケンとメリー(ケンメリ)のスカイライン」の広告キャンペーンで大ヒット、スカイラインの人気を不動のものにしました。その他、市販車以外のレース車の開発も担当し、1966年にデビューしたプロトタイプレーシングカー「R380」は、直6エンジンをミッドシップに搭載し、日本GPを制覇しています。
名車スカイラインを通して、「スポーティで運転して楽しいセダン(クーペ)」という新しいジャンルを浸透させた桜井眞一郎の功績は、日本の自動車業界にとって極めて大きかったと言えますね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●アメリカンテイスト溢れるアコードワゴンを日本で販売!
1991(平成3)年4月3日、ホンダは米国生産の「アコードワゴン」を日本で販売することを発表、翌日から発売が始まりました。1989年にデビューした4代目アコードは、ハイソカーブームの陰に隠れて期待通りの人気が得られず、その挽回策として米国生産のワゴンを日本に投入することにしたのです。
アコードワゴンは、4代目アコードをベースに米国のホンダR&Dが開発。専用設計の高剛性ワゴンボディによって安全性と静粛性を高め、また大型開口のリアゲートを装備して利便性を向上させています。パワーユニットは、可変式デュアルインテークマニホールドを装着した2.2L直4OHC 16Vエンジンを搭載。米国生まれだけにパワフルな高速性能が自慢でした。
アコードワゴンは、スタイリッシュで滑らかなフォルムに、使い勝手の良いワゴンのパッケージングが支持されて予想を超える人気を獲得しました。この頃、ちょうど日本でステーションワゴンブームが起こっていたことも、人気に拍車をかけたと思われます。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)