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■コロナ禍で迎える3度目の「さくらの日」
3月27日は、全国的にさくらが見頃であること、さ(3)×(9)くら=27の語呂合わせから、さくらの日に制定されています。3月21日に蔓延防止等重点措置が解除されて、新型コロナに注意しながら花見を楽しんでいる人も多いようです。来年こそ、何も気にすることなく花見が楽しめるといいですね。
3月27日には、タレントの青木さやか、サッカーの内田篤人、作家の遠藤周作と田辺聖子、元総理の佐藤栄作、米国シンガーのマライヤ・キャリー、ジャズシンガーのサラ・ヴォーン、ラリードライバーのサンドロ・ムナーリなどが生まれています。本日紹介するのは、ランチアで優勝を重ねたサンドロ・ムナーリです。
●ランチア・ストラトスで7度の優勝。サンドロ・ムナーリが誕生
サンドロ・ムナーリは、1940年3月27日にイタリアのヴェネト州カヴァルツェレで生まれました。1965年本格的にラリーを始め、フィアットとランチアチームに加わると、1967年と1969年にイタリア・ラリー選手権、1973年には欧州ラリー選手権で優勝します。
1971年、WRCに勝つために開発されたミッドシップマシン、ランチア・ストラトスが出来上がると、サンドロ・ムナーリとストラトスの快進撃が始まります。1974年にラリー・サンレモで初優勝すると、1975年からラリー・モンテカルロの3連勝の偉業を含め計7度の優勝と、1977年にはFIAラリーチャンピオンに輝きます。その後、ランチアを出てフィアットに移籍しますが、一転、結果を残すことはできませんでした。
ランチアのラリーカーと言えば、1980年代にマニュファクチャラー選手権6連覇の金字塔を打ち立てたランチア・デルタを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、1970年代はサンドロ・ムナーリとランチア・ストラトスの黄金時代だったのです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●米国でホンダの海外市場向け高級ブランドのアキュラが開業!
1986(昭和61)年3月27日、ホンダは米国で高級車ブランドのアキュラを開業。全米60店舗のディーラーを通して、「インテグラ」とフラッグシップの「レジェンド」の販売を始めました。
アキュラは、日本の自動車メーカーによる海外向け高級ブランド設立の先駆けであり、トヨタ・レクサスと日産・インフィニティよりも3年早い創業です。設立が早かった背景には、ホンダが日本メーカーとして最も早く米国進出を果たしたことが挙げられます。1973年に排ガス規制のマスキー法を世界に先駆けてクリアした「シビック」で米国進出に成功し、1982年には日本メーカーとして初めてオハイオ州に自社工場を建設して、「アコード」の現地生産を始めています。
ブランド名のアキュラ(Acura)は、Accuracy(正確さ)からの造語、「A」の文字と測定器のノギスをモチーフに、また逆さにするとホンダのHにも見えるデザインを採用しています。当初のラインナップは「アキュラ・レジェンド」や「アキュラ・インテグラ」といったネーミングでしたが、その後RLXなどの英文字を使った表記に移行しました。
現行のアキュラブランドはセダンとSUVが中心ですが、スーパースポーツのNSXはアキュラでもフラッグシップとして君臨しています。最近の人気モデルは、ミドルサイズのSUV「RDX」とフラッグシップSUV「MDX」です。世界的なSUVブームの中、やはり高級セダンより高級SUVが人気ですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)