東日本大震災から11年/4度のチャンピオンに輝くライダーエディ・ローソン生まれる/スズキ・アルトのホットモデル「ターボRS」デビュー!【今日は何の日?3月11日】

■原発処理や復興事業など解決すべきことが山積

今年もまた、東日本大震災の日がやってきました。2011年3月11日の14時46分18秒、国内観測史上最大規模のマグネチュード9.0の地震が三陸沖で発生。強烈な揺れと津波によって、東北地方の広範囲にわたって未曾有の大災害をもたらしました。環境や原発の課題、復興事業など、まだまだ解決すべきことが山積です。

さて、3月11日に生まれたのは、野球の菊池涼介、モデルの土屋アンナ、相撲の白鵬、心臓移植の和田寿郎、キャノン創業者の御手洗毅、政治家の大隈重信、サッカーのディディエ・ドログバ、ライダーのエディ・ローソンなどです。本日紹介するのは、エディ・ローソンです。

●正確無比なマシンコントロールで4度のMotoGPチャンピオンに輝くエディ・ローソンが誕生

エディ・ローソンは1958年3月11日、米国カリフォルニア州ロサンゼルス近傍のアップランドで生まれました。子供の頃から自転車や80ccバイクで楽しみ、7歳からミニバイクレースに参戦。12歳の時ダートトラックでデビューするとロードレースに転向し、1981年と1982年にカワサキでAMA(全米モーターサイクル協会)スーパーバイクチャンピオンを獲得します。

エディ・ローソン(1990年日本GP)(C)Creative Commons
エディ・ローソン(1990年日本GP)(C)Creative Commons

その活躍が認められ、1983年ヤマハからMotoGPに参戦。1984年に早速4勝を挙げ、スペンサーらを抑えて初のチャンピオンに輝きました。機械のような正確無比なマシンコントロールから、「ステディ・エディ・ローソン」と呼ばれ、1986年、1988年にもチャンピオンを獲得。さらに翌1989年にはホンダに移籍して、4度目のチャンピオンになります。1992年に引退するまで500cc通算31勝(うちヤマハで26勝)という記録を残し、滅多にミスをしない芸術的なライディングテクニックは、今も多くのライダーの憧れです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●15年ぶりのターボの復活、アルト・ターボRSがデビュー!

2015(平成27)年3月11日、スズキからアルトのホットモデル「ターボRS」がデビューしました。スズキのホットモデルとしては、1985年に登場したリトルモンスター「アルトワークス」が有名ですが、1998年の4代目を最後に市場から姿を消していました。

2015年にデビューしたアルトターボRS
2015年にデビューしたアルトターボRS
アルト ターボRS 多機能メーター
アルト ターボRS 多機能メーター

アルトワークスではありませんが、高性能ターボモデルとして復活したのがアルト・ターボRSです。吸気VVTを装備した660cc直4 DOHCターボエンジンは、最高出力64PS/6000rpm、最大トルク98Nm/3000rpmを発生。60kg軽量化したボディに、フルタイム4WDとバドルシフト付きAGS(オートギアシフト)の組み合わせによって、小気味よいスポーティな走りを実現しました。一方、アイドルストップを採用した優れた燃費性能や、自動ブレーキなどの安全装備も充実させています。

アルト ターボRS 改良型R06A型ターボエンジンイメージ
アルト ターボRS 改良型R06A型ターボエンジン

実用的なライトスポーツモデルとして登場したアルトターボRSでしたが、なんとその年の12月に5代目アルトワークスが復活、ファンはアルトワークスに流れてしまいました。中途半端なデビューであった不運なアルトRSターボは、その後静かに市場から去っていきました。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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