クルマの制限速度を時速13kmに/地動説のコペルニクス生まれる/ホンダからクイントインテグラがデビュー!【今日は何の日?2月19日】

■東京の自動車制限速度が時速8マイルに決定

1907(明治40)年2月19日、警視庁は東京都内の自動車の制限速度を時速8マイル(約13km)と定めました。ママチャリ並みの速度ですが、それでも昔の人には速いと感じたのでしょうか。ちなみに、この年の自動車登録台数は16台だったそうです。めったにクルマに出会うことはなかったでしょうね。

さて、2月19日に生まれたのは、歌手の中島美嘉、ミュージシャンの財津和夫、俳優の藤岡弘、オートレーサーの森且行、作家の村上龍、地動説のコペルニクスなどです。本日紹介するのは、コペルニクスです。

●500年近く前に地動説を唱えたコペルニクスが誕生

ニコラウス・コペルニクス(C)Creative Commons
ニコラウス・コペルニクス(C)Creative Commons

ニコラウス・コペルニクスは、1473年2月19日にポーランドで生まれました。カトリック司祭、天文学者、法学者、医師など数々の分野で活躍しましたが、彼を有名したのは地動説(太陽中心説)です。紀元前からコペルニクスが登場する16世紀まで、地球が宇宙の中心であり、周りの天体が動いているという天動説(地球中心説)が信じられていました。そのため、コペルニクスはカトリックの教義でもあった天動説を否定することに長く悩み、発表したのは死の直前の1543年でした。地動説は、世界に大きな衝撃を与えましたが、それでも信じる人はほとんどいませんでした。

ガリレオ・ガリレイ(C)Creative Commons
ガリレオ・ガリレイ(C)Creative Commons

16世紀末、その地動説が正しいと主張したのは、ガリレオ・ガリレイでした。ガリレオは、すぐに捕らえられて裁判にかけられ、教会から二度と地動説を口にしないように言い渡されました。その時かどうかは不明ですが、「それでも地球は回っている」という名セリフを言ったとか。地動説が実証されたのは、コペルニクスの死後200年も後のことです。コペルニクスのような逆転の発想は、なかなか凡人にはできないですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●インテグラの名を加えてスポーティに変貌したクイントインテグラが登場!

1985(昭和60)年2月19日、ホンダは「クイント」の車名にインテグラを付けた「クイントインテグラ」を発表、翌日から発売を開始しました。初代のクイントは、「シビック」と「アコード」の間を埋めるファミリーカーとして1980年にデビューしたモデルです。

1985年に登場したクイントインテグラ(2代目インテグラ)
1985年に登場したクイントインテグラ(2代目インテグラ)
クイントインテグラの流麗かつスポーティなスタイリング
クイントインテグラの流麗かつスポーティなスタイリング

その2代目がクイントインテグラで、初代のファミリーカーから3ドアハッチバックのスポーティなモデルに変貌しました。低ボンネットのショートノーズにリトラクタブルライト、リアはノッチバックのハイテールを採用。ロングホイールベースとワイドトレッドによって、スポーティな外観にもかかわらず広々とした室内空間が実現されています。エンジンは1.6L直4DOHCで、上級グレードにはPGM-FIの電子制御噴射システムを採用、当時クラス最強の出力を誇りました。

1980年にデビューした初代クイント
1980年にデビューした初代クイント

スポーティで流麗なフォルムと爽快な走りは、日本のみならず世界の市場でも高く評価され、国内外で大ヒットを記録します。この2代目が起爆剤となって、3代目の「かっこインテグラ」へと続き、ホンダの看板モデルの一つとして定着したのです。その後、2007年に一度系譜が途絶えますが、2021年末に北米アキュラで新型インテグラが復活し、大きな話題にもなりました。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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