1978年嫌煙権生まれる/エンツォ・フェラーリ生まれる/ソアラに挑んだ日産2代目レパード登場!【今日は何の日?2月18日】

■タバコの煙を嫌う「嫌煙権」という新語が生まれる

1978(昭和53)年2月18日、東京四谷で「嫌煙権確立をめざす人々の会」が設立されました。日照権をヒントにして作られた「嫌煙権」という新語で、嫌煙運動をアピールしました。今では考えられませんが、当時は各自の机に灰皿を置いてタバコを吹かしながら仕事をしていた時代、この勇気ある行動があった効果でしょう、現在では多くの企業の個人デスクに灰皿はなくなっていますよね。

さて、2月18日に生まれたのは、女優の安藤サクラ、スズキ創業者の鈴木道雄、武将の上杉謙信、サッカーのロベルト・バッジョ、米国俳優のジョン・トラボルタ、ボルタ電池のアレッサンドロ・ボルタ、フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリなどです。本日紹介するのは、エンツォ・フェラーリです。

●レースで勝ってスポーツカーブランドを築き上げたエンツォ・フェラーリが誕生

若き日のエンツォ・フェラーリ(C)Creative Commons
若き日のエンツォ・フェラーリ(C)Creative Commons

エンツォ・フェラーリは、1898年2月18日にイタリアのモデナで板金工の次男として生まれました。小さい頃からモータースポーツに魅了され、1920年にアルファロメオのテストドライバーになります。その後ワークスドライバーとして活躍して、1929年に仲間とレーシングチームを設立。1935年にドイツGPで劇的な逆転優勝を飾り、フェラーリは一躍イタリアのヒーローとなります。

世界大戦後の1947年、スクーデリア・フェラーリを創立してレース車125Sを製造、翌年1948年にロードゴーイングカー第1号の「166インター」の受注生産を始めます。レースの活躍と高級スポーツカーで名声を高めていきますが、いっぽうで経営はひっ迫。その結果、1966年にフェラーリはフィアットの傘下となり、エンツォはレース車の開発に専念することとなります。レースで目覚ましい活躍を演じるいっぽう、ロードカーの分野でも365GTB/4(デイトナ)や512BB、F40といった人気の高級スポーツカーを世に送り出しました。エンツォは1988年8月14日にこの世を去りますが、自動車ブランドとしてのフェラーリは、腕に自信がないと乗りこなせない憧れのスポーツカーを現在でも作り続けています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●フルモデルチェンジしてソアラに挑んだ日産2代目レパード登場!

1986(昭和61)年2月18日、日産から2代目となる「レパード」がデビューしました。1980年に高級スペシャルティカーとしてデビューした初代レパードでしたが、トヨタソアラ」の人気の陰に埋もれて輝くことはできませんでした。

1986年に登場した2代目レパード
1986年に登場した2代目日産レパード
2代目レパードの斜め後ろ外観。ソアラを意識した?直線基調の2ドアハードトップ
2代目レパードの斜め後ろ外観。ソアラを意識した?直線基調の2ドアハードトップ

そして登場した2代目レパードは、8連式マルチヘッドライト、大型リアコンビネーションライトなどを採用した2ドアクーペスタイルに一新されました。インテリアにおいては、ラウンド形状の室内空間に、ツイード調の上質シート、カラー液晶デジタルメーターなどで高級感を演出。パワートレインは3.0L V6DOHC24Vエンジンを筆頭に、2.0L V6SOHCターボ、2.0L V6SOHCという3機種に4速ATおよび5速MTの組み合わせ。サスペンションには、路面状況に応じてショックアブソーバーの減衰力を3段階に切り替えるスーパーソニックサスペンションが採用されました。

2代目レパードのインテリア。大きな液晶ディジタルメーターが目を引く。
2代目レパードのインテリア。大きな液晶ディジタルメーターが目を引く。

雪辱を期して登場した2代目レパードでしたが、ソアラが牽引したハイソカーブームにもうまく乗り切れず、販売は低迷。ソアラに比べると、ややスポーティさや若さが足りなかったように思いますね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン