初代天皇即位/清水和夫、ジョン・サーティース生誕/いすゞ製のホンダ・ホライゾン登場!【今日は何の日?2月11日】

■建国された日でなく建国されたことを祝う「建国の記念日」

2月11日は、建国記念日ではなく「建国の記念日」です。もともとは、初代天皇の神武天皇が即位した2月11日を日本建国の日「紀元節」としたことに由来します。しかし、建国の起源が明確でないのに建国記念日とするのは問題であることから、建国を記念する「建国の記念日」となったのです。ずっと建国記念日と思っていましたが、間違いだったのですね。

さて、2月11日に生まれたのは、アナウンサーの出水麻衣、自動車評論家の清水和夫、測量家の伊能忠敬、米俳優のバート・レイノルズ、レーシングドライバーのジョン・サーティースなどです。本日紹介するのは、ジョン・サーティースです。

●2輪と4輪で頂点を極めたジョン・サーティースが誕生

ホンダ・RA301を駆るサーティース(1968年ドイツGP)(C)Creative Commons
ホンダ・RA301を駆るサーティース(1968年ドイツGP)(C)Creative Commons
ジョン・サーティース(C)Creative Commons
ジョン・サーティース(C)Creative Commons

ジョン・サーティースは、1934年2月11に英国のサリー州タッツフィールドで生まれました。父親が2輪のアマチュアレーサーであったため、小さい頃からバイクに親しみます。1952年にノートンからWGP(世界ロードレース選手権)にデビューし、イタリアのMVアグスタへ移籍。1955年に初優勝すると、1960年までにWGPで7度のチャンピオンに輝き、1960年にF1へ転向します。1964年にフェラーリで初のF1チャンピオンの座に輝くと、以降4度の優勝を飾りました。そして1967年にホンダ入り。同年9月のイタリアGPで優勝し、ホンダF1における2勝目をもたらしました。これがサーティースにとってはF1最後の優勝ですが、F1の優勝は計6回に及びます。

サーティースは、2輪のWGPと4輪のF1の両方で世界チャンピオンになった唯一無二のレーサーで、「ビッグ・ジョン」とも称されました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●いすゞからOEM供給を受けて登場したホンダのホライゾン!

1994(平成6)年2月11日、ホンダはいすゞとの商品相互補完契約に基づき、いすゞのフラッグシップ「ビッグホーン」のOEM供給を受けて、「ホライゾン」として販売を始めました。当時はバブルが崩壊してRVブーム真っ只中、中でもパジェロやハイラックス・サーフなどのオフロード車が人気となっていました。RVブームに乗り遅れていたホンダが、その挽回のために投入したのが、ホライゾンでした。

1994年に登場したホライゾン。フロントグリルはホンダオリジナル
1994年に登場したホライゾン。フロントグリルはホンダオリジナル
ホライゾンの後ろ外観。ロングボディに背面スペアタイヤ
ホライゾンの後ろ外観。ロングボディに背面スペアタイヤ

ホライゾンは、ビッグホーンのロングボディに、ホンダオリジナルのフロントグリルとシート、さらにフルオートエアコンや6スピーカーオーディオを装備した高級クロカン車に仕上げられました。パワートレインは3.0L V6 DOHCガソリンエンジンと3.0L直4ディーゼルターボという2種のエンジンに、4速ATまたは5速MTの組み合わせでした。

ホライゾンの余裕の7人乗りシートアレンジ
ホライゾンの余裕の7人乗りシートアレンジ

当時ホンダは、資本提携の噂が流れるほど厳しい時代でしたが、OEMで何とか乗り切り、その間に開発した「オデッセイ」や「CR-V」、「ステップワゴン」などのヒットによって、元気を取り戻したのです。OEMの必要はもうないと、ホライゾンは1999年に販売を終了しました。ホンダの冬の時代を支えたリリーフ的なモデルでしたね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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