バスコ・ダ・ガマが喜望峰航路発見/ケネディ大統領暗殺/ホンダFCXが国交大臣の認可取得!【今日は何の日?11月22日】

■バスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端の喜望峰を通過、ケネディ大統領がダラスで暗殺される

喜望峰
喜望峰

1497(明応6)11月22日、ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマが率いる4隻の戦隊が、アフリカ最南端の喜望峰を通過しました。バスコ・ダ・ガマはポルトガル王の命を受け、インドとの貿易のためにアフリカ回りの航路を探していたのです。翌年の1948年5月に無事インドのカルカッタに到着し、その任務を果たしました。バスコ・ダ・ガマがインド航路を確立したことで、ポルトガルはインドとの香料貿易によって繫栄し、ヨーロッパでの勢力を高めます。その後1524年に、バスコ・ダ・ガマはインド総督としてゴアに赴任しましたが、直後に病死しました。

狙撃の数分前のパレードの様子(C)Creative Commons
狙撃の数分前のパレードの様子(C)Creative Commons

また1963(昭和38)年のこの日、米国のテキサス州を遊説していたジョン・F・ケネディ大統領が、ダラス市内のパレード中に狙撃されるという惨劇が発生。狙撃の日、日本では翌日に控えた日米間初の衛星中継番組の放送準備に追われていました。ところが11月23日午前4時頃ケネディ大統領の悲劇の第一報が届いたので、急遽予定を変更して報道特別番組として衛星放送したのです。日米間初の衛星生中継が、狙撃の映像というショッキングな報道になってしまいました。一方、すぐに逮捕されたオズワルド容疑者は移送中に射殺されるなど不可解なことが多く、真相ははっきりしないまま今も闇の中です。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ホンダの燃料電池車FCXが国土交通大臣の認定を取得!

2002年(平成14)年のこの日、ホンダ燃料電池車「FCX」の国交大臣認定を取得しました。これを受けて、ホンダは最初に日本の内閣府と米国のロサンゼルス市庁にFCXを納車、その後他の官公庁や一般企業へのリース販売を始めました。

2002年12月3日、内閣府に1号車納車、小泉総理へ納車式
2002年12月3日、小泉総理への納車式。右端は当時のホンダ社長の吉野浩行氏
2002年国交大臣の認可を受けた燃料電池車FCX
2002年国交大臣の認可を受けた燃料電池車FCX

ホンダは、1990年代に燃料電池車の開発に注力し、1999年にはFCXのベースとなる燃料電池車「FCX-V1」と「FCX-V2」を発表。その後、燃料電池スタックの高出力化や蓄電システムに自社開発のウルトラキャパシタを採用するなどの改良を加えます。完成した最終的なFCXは、4人乗りのコンパクトカーで、燃料電池スタックはバラード社製のPEFC(固体高分子膜型)で出力78kW、水素ボンベは350気圧の156.6L、モーター出力は60kWで最高速度150km/h、航続距離は355kmの性能でした。

FCXカットモデル、床下に燃料電池スタック、フロントにはモーターなどパワートレイン、後部は高圧水素タンクを搭載
FCXカットモデル、床下に燃料電池スタック、フロントにはモーターなどパワートレイン、後部は高圧水素タンクを搭載

FCXは、その後リース販売先を拡大し、2004年には箱根駅伝や屋久島ゼロエミッションプロジェクトなどに参加して、その環境性能と実用性の高さをアピール。2005年には、米国カリフォルニア州で個人向けのリース販売も開始しました。

2016年リース販売を始めた「クラリティ・フューエルセル
2016年にリース販売を始めた「クラリティ・フューエルセル

そしてFCXの成果は、2008年からリース販売を始めた新型燃料電池車「FCXクラリティ」へと繋がりました。FCXクラリティは2016年にモデルチェンジして「クラリティ フューエルセル」へと進化しますが、2021年8月に生産を終了。究極のエコカーと呼ばれても、コストが下がる目途が付かないと、開発リソースを投入するのは難しいですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる