人形峠でウラン発見/ワゴンRが生産100万台達成/スズキのスポーツモデルKeiワークス登場!【今日は何の日?11月12日】

■人形峠で日本初のウラン鉱床が発見される

人形峠の『ウラン鉱床露頭発見の地』碑(C)Creative Commons
人形峠の『ウラン鉱床露頭発見の地』碑(C)Creative Commons

1955(昭和30)11月12日、岡山県と鳥取県の県境にある人形峠で通産省工業技術院地質調査所によって日本初の堆積性ウラン鉱床が発見されました。原子力発電は、ウランが核分裂を起こす際に発生する大量の熱で蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して発電します。1964年に原鉱石からウランを抽出する試験精錬を始め、1982年には遠心分離法による濃縮ウラン製造プラントが稼働しました。一時は原子力発電所のウラン燃料の半年分を賄っていましたが、2001年に濃縮プラントは運転を終了して、その役目を終えました。現在は、ウラン燃料のすべてが海外から輸入されています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ワゴンRが5年4ヶ月で生産100万台突破

1993年発売のワゴンR、背の高いハイトワゴンで大ヒット
1993年に発売されたワゴンR。背の高いハイトワゴンとして大ヒット

1998(平成10)年のこの日、スズキの「ワゴンR」が累積生産台数100万台を達成しました。ワゴンRは、従来の軽の常識を覆す車高の高さによって圧倒的な居住空間を実現した「ハイトワゴン」という新しいジャンルを開拓して大ヒット。1993年8月から生産を始め、5年4ヶ月経った1998年に早くも100万台を突破したのでした。このハイトワゴンブームは現在も続き、さらに車高を高めたスーパーハイトワゴンととともに、現在は軽自動車のスタンダードとなっています。

●スズキのクロスオーバーKeiにワークス誕生!

2002(平成14)年のこの日、スズキからKeiのスポーツモデル「Keiワークス」がデビューしました。

2002年発売のKeiワークス、Keiの高性能モデルとして登場
2002年に発売されたKeiワークス。Keiの高性能モデルとして登場

スズキの“ワークス”と言えば、1987年にデビューした高性能モデル「アルトワークス」が有名ですが、4代目アルトワークスは2000年末をもって一旦生産を中止しました。その2年後に登場したのが、Keiワークスです。

1998年発売のKei、軽のクロスオーバーの先駆け的存在
1998年に発売されたKei。軽のクロスオーバーの先駆け的存在

1998年にデビューした「Kei」は、都会もオフロードも似合うクロスオーバーの先駆け的な軽でした。走りを重視したモデルに、660cc3気筒DOHC 12Vインタークーラーターボエンジンを搭載したスポーツグレードも用意されていました。Keiワークスにも同じ高出力エンジンが搭載されましたが、よりスポーティさを強調した装備が加えられました。具体的な装備としては、専用フロントグリル&バンパー、大型フォグランプ、大型ルーフエンドスポイラー、専用15インチアルミホイールが採用され、インテリアについてもシートも専用、前席はレカロと共同開発した専用バケットシートが組み込まれました。

1987年発売の初代アルトワークス、リトルモンスターと呼ばれて大ヒット
1987年に登場した初代アルトワークス。リトルモンスターと呼ばれて大ヒット

期待されたKeiワークスでしたが、熱烈な人気を獲得するまでには至りませんでした。リトルモンスターのアルトワークスのイメージが強すぎ、信奉するファンから逆に反感を受けたという事情もあったようです。柳の下に2匹目のドジョウはいなかったということですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる