初の国立公園選定/小柴昌俊氏と山中信弥氏にノーベル賞/異色のミッドシップ軽ホンダ2代目Z発表!【今日は何の日?10月8日】

■国立公園に12ヶ所を選定、小柴昌俊氏と山中信弥氏がノーベル賞に決定

中央アルプスと雲海
中央アルプスと雲海

1932(昭和7)年10月8日、前年に施行された国立公園法に基づき、国立公園12ヶ所が選定されました。選定されたのは、大雪山、阿寒、十和田、日光、富士、日本アルプス、吉野熊野、瀬戸内海、伯耆大山、阿蘇、雲仙、霧島です。いっぽう国定公園というのもありますね。違いは「国立公園は環境大臣が自然公園法に基づいて指定する自然公園」、対して国定公園は「国立公園に準じて景勝地として同じく環境大臣が指定する公園」ですが、管理や保護は都道府県が行うそうです。

小柴昌俊氏と山中信弥氏 (C)Creative Commons
小柴昌俊氏と山中信弥氏 (C)Creative Commons

そして例年、この時期はノーベル賞の受賞者が発表されます。2002(平成14)年のこの日、東大名誉教授小柴昌俊氏が「ニュートリノ検出への貢献」で物理学賞、2012(平成24)年には京都大学山中信弥教授が「iPS細胞の生成」で生理学・医学賞を受賞しました。昨年までの日本出身&日本国籍の受賞者は、物理学賞9名、化学賞8名、生理学・医学賞5名、文学賞2名、平和賞1名の計25名。今年は真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞していますが、残念ながら米国籍のようですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ミッドシップ4WDで異彩を放ったホンダ2代目Z発表!

1998(平成10)年のこの日、1970年にデビューしたホンダの「Z」が24年ぶりに復活、発売は翌日から始まりました。初代Zは、軽自動車初のスペシャルティカーとして登場しましたが、2代目Zは初代とはコンセプトも機能もまったく異なるモデルとなりました。

1998年発売の2代目Z
1998年に発売された2代目Z
1998年発売の2代目Zの後ろ外観、荷室スペースを確保したSUVスタイル
2代目Zの後ろ外観、荷室スペースを確保したSUVスタイル

2代目Z最大のポイントは、何といっても軽自動車としては贅沢な技術「ミッドシップ4WD」を採用していることです。横置きのエンジンをフロア下中央よりやや後ろ側に搭載し、ビスカスカップリング式センターデフによって前後輪を駆動するという非常に高度なシステムです。スーパーカーのようなシステムですが、もともとは軽トラ「アクティ」の4WDを改良したものです。パワートレインは660cc直3 SOHC 12Vエンジンとそのインタークーラー付きターボ仕様に4速ATの組み合わせ。フラットな床面と荷室スペースを確保するため、エンジンを90度寝かせて搭載していることも注目です。

1998年発売の2代目Zの乗員スペース、フラットなフロアに余裕のスペース
2代目Zの車内。フラットなフロアに余裕のスペース

2代目Zは、ミッドシップレイアウトで前後重量配分50:50の理想的な前後重量配分により、高い走行性能と操縦安定性を実現。さらに4WDとの組み合わせによって、オフロード走行や雪道走行での走破性は、軽らしからぬ威力を発揮しました。

1970年発売の初代Z、2代目とはコンセプトが異なるFFのスぺシャルティカ―
1970年発売の初代Z。2代目とはコンセプトが異なるFFのスぺシャルティカ―

当時は、1993年に登場したスズキの「ワゴンR」によって開拓されたハイトワゴンが軽市場を席巻していました。軽のユーザーは、そこまで高度なコンセプトや機能を軽自動車に求めませんでした。せっかくのミッドシップ4WDも「凝り過ぎ、重過ぎ、高過ぎ」と揶揄され、2002年には生産を終了してしまいました。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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