三大財閥解体/日本初のホームページ/トヨタのアッパーミドルセダン「ウィンダム」登場!【今日は何の日?9月30日】

■戦後に三井・三菱・安田の3大財閥が解体、日本で初めてホームページが公開

財閥家族の資産差し押さえ風景(1946年)(C)Creative Commons)
財閥家族の資産差し押さえ風景(1946年)(C)Creative Commons

1946(昭和21)年9月29日、当時の3大財閥であった三井・三菱・安田の3財閥が正式に解散を決定しました。第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づく占領政策の一環として、1945年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が発令した財閥解体指令に対応したものです。財閥が軍需産業に大きく加担していたこと、独占・寡占的な地位を築いていたことなどが、解体の理由です。ここでの解体とは、傘下の数十、数百という企業を独立させて、コンツェルン(企業集団)を解散させることです。

また1992(平成4)年のこの日、日本初となるホームページ(HP)が公開されました。1991年に、「ウェブの父」として知られるティム・バーナーズ・リーが世界初のHPを開設してから、わずか1年後のことでした。HPを作成したのは、茨城県つくば市にあった高エネルギー物理研究所の森田洋平氏です。森田さんは学生時代からネットワークの構築に携わっていたことから、ティム氏の依頼でHPを作成したそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●レクサスESの日本仕様、トヨタ・ウィンダムデビュー!

1991(平成3)年のこの日、トヨタは米国で販売している「レクサスES」を、「ウィンダム」という車名で国内発売しました。

1991年発売の初代ウィンダム(C)Creative Commons
1991年に発売された初代ウィンダム(C)Creative Commons
1991年発売の初代ウィンダムの後ろ外観、当時流行ったピラードレスハードトップ(C)Creative Commons
初代ウィンダムの後ろ外観。当時流行ったピラーレスハードトップ(C)Creative Commons

1980年代後半、日本はバブル景気の波に乗り、ハイソカーのような空前の高級車ブームが起こった時代です。トヨタは米国で発売する「レクサスLS400」を日本向けに「セルシオ」として発売し、最高級車として存在感を示しました。同時にセルシオのワンランク下のアッパーミドルの高級車として、ウィンダムがデビュー。当時流行りのピラーレス4ドアハードトップを採用し、米国サイズの落ち着いた雰囲気を持つ3ナンバーセダンです。もともとレクサスブランドの主力モデルとして開発されたため、徹底した静粛性に加え、豪華な内装や快適装備が充実していました。メーターは表示の明るさが変化する自発光式で、マイコン制御エアコンは大型液晶パネルに温度や風量バーグラフをデジタル表示、さらに吹き出しモードもイラストで表示するなど、ユーザーに優しい操作性と視認性の向上が大きなアピールポイントでした。

1991年発売の初代ウィンダムの運転席周り、充実した快適装備
初代ウィンダムの運転席周り、充実した快適装備

パワートレインは、3.0L V6 DOHC 24Vエンジンと電子制御4速ATの組み合わせでしたが、後に2.5L V6 DOHC 24Vを追加設定しました。安全面では4輪ABSやトラクションコントロールシステム、ユニークな装備として超音波振動を利用したドアミラーの雨滴除去装置が標準装備されました。

1989年発売の超高級車初代セルシオ
1989年発売の超高級車初代セルシオ

ウィンダムは、アクティブなエリートが乗るというイメージが定着し、安定した販売を記録しました。しかし1990年代はバブル崩壊の暗雲が立ち込め、市場は高級セダンでなく、ファミリー志向のミニバンやレジャー志向のRVが人気を集め始めました。その結果、モデルチェンジの効果もなく、ウィンダムの販売は徐々に下降線をたどり、2006年にカムリに統合する形で生産は終了しました。セダン人気の凋落を象徴するモデルのひとつといえますね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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