ゴリラを守れ/ホンダの前身創業/ガルウイングの軽スポーツ、マツダのオートザムAZ-1デビュー!【今日は何の日?9月24日】

■絶滅危機にあるゴリラを守るゴリラの日

今日9月24日は、「世界ゴリラの日」です。絶滅の危機にある野生のゴリラの保護とゴリラの生息地の自然を守るのが目的です。乱獲や森林伐採のために、ゴリラは絶滅の危機に瀕しています。怖いイメージがありますが、ゴリラはチンパンジーやオランウータンと同じ霊長目ヒト科で、性格は温厚で争いを好まない繊細な動物です。ちょっとしたことでストレスが溜まり、食欲不振になるそうです。希少動物なので、日本では千葉市動物園、恩賜上野動物園、東山動物園、日本モンキーパーク、浜松市動物園、京都市動物園の6ヶ所でしか見ることができません。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ホンダの前身である本田技研工業が創立

ホンダ創業者本田宗一郎氏(C)Creative Commons
ホンダ創業者本田宗一郎氏(C)Creative Commons

1948(昭和23)年のこの日、本田宗一郎氏によってホンダの前身である本田技術研究所が創立されました。エンジンを搭載した自転車からスタートして、世界的な大ヒットとなったスーパーカブなどの2輪車の成功を基盤に、1963年に4輪車事業に参入。独創的なヒット商品を市場に投入しつつ、世界のレースに参戦してモータースポーツでもホンダの名を知らしめました。また環境対応技術にも積極的に取り組み、1973年には低公害エンジンCVCCを搭載したシビックで、当時世界で最も厳しかった米国排ガス規制(マスキー法)に初めて適合して世界を驚かせました。その後も、数々の個性的なヒットモデルを世に出し、F1に代表されるモータースポーツで活躍していることなどは、ご存知の通りです。

●マツダの軽ミッドシップスポーツ・オートザムAZ-1デビュー!

1992(平成4)年のこの日、マツダから軽のミッドシップスポーツ「オートザムAZ-1」がデビューしました。オートザムは、当時マツダが進めていた5チャンネル化で誕生した販売ネットワークのひとつです。

1992年発売のオートザムAZ-1
1992年に発売されたオートザムAZ-1

1980年代後半に迎えたバブル景気は、軽自動車にも高性能・高機能化をもたらしました。その象徴的なクルマが、1990年代初めに登場した2シータースポーツカー「ABCトリオ」でした。Aはマツダの「AZ-1」、Bはホンダの「ビート」、Cはスズキの「カプチーノ」です。

1992年発売のホンダビート、NAながらレスポンスに優れたミッドシップスポーツカー
1992年に発売されたホンダビート、NAながらレスポンスに優れたミッドシップスポーツカー

AZ-1は、モノコックフレームをFRP製ボディパネルで覆った車体に、最大の特徴であるガルウイングドアを装備。軽自動車としては初の試みで、現在まで他に採用例はありません。パワートレインは、アルトワークスが搭載した当時最強の64PSの0.66L 直3 DOHCターボエンジンをスズキから調達し、5MTと組み合わせました。駆動方式はエンジンを運転席直後に横置きに搭載したミッドシップのFR駆動で、前後車両配分44:56を実現していました。ただし、センターメンバーとサイドメンバーは剛性を高めるために太く設計されているので、室内スペースは2人乗りでギリギリの状態でした。

1991年発売のスズキカプチーノ,加速性能に優れた軽乗用車唯一のFRスポーツカー
1991年に発売されたスズキカプチーノ,加速性能に優れたFRスポーツカー

残念ながら販売時期がバブル崩壊時期に合致したため販売は伸びず、1994年10月に生産を終えました。生産台数は4409台、バブルがもたらした夢か幻を見ているような何ともユニークで不思議なクルマでした。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる