マラソンの日/毛利衛さん宇宙へ/FFミッドシップのホンダ・アコード・インスパイア登場!【今日は何の日?9月12日】

■マラソンの起源は古代ギリシャの兵士の戦勝伝達

マラソン風景
マラソン風景

今日は「マラソンの日」です。紀元前450年9月12日、ギリシャのアテネの名将ミルティアデスが、ギリシャ北部のマラトンに上陸したペルシャの大軍を撃退。その勝利を、1人の兵士フェイディビデスがアテネまで走って伝えて、そのまま絶命したと言われています。この伝説を称えて、1896年にアテネで開催された第1回オリンピックで、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの初めてのマラソン競技が行われました。ちなみに、マラトンの英語読みがマラソンです。ところで、なぜ距離が42.195kmと中途半端なのでしょうか?時のイギリス王妃が「スタートは宮殿の庭で、ゴール時点は競技場のボックス席の前に」とワガママを言ったことが始まりのようです。それが、今まで続いているのが不思議ですね。

毛利衛宇宙飛行士(C)Creative Commons
毛利衛宇宙飛行士(C)Creative Commons

また1992(平成4)年9月12日、毛利衛宇宙飛行士がNASAのスペースシャトル「エンデバー」で宇宙へ飛び立ちました。日本人として宇宙に飛び立ったのは、1990年のソ連宇宙基地から飛び立った秋山豊寛氏が最初で、毛利さんは2人目です。1985年に宇宙飛行士として選ばれてから、7年も経っての搭乗でした。当初は1988年の予定でしたが、「チャレンジャー」の爆発事故などの影響で打ち上げが延期されたとのこと。ところで、毛利さんは宇宙飛行士になる前、人工太陽の研究やスタッドレスタイヤの開発と普及のきっかけになった研究に携わっていたとのことです。意外なところでクルマとの接点が見つかりました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●5気筒エンジンを搭載するホンダのアコード・インスパイアデビュー!

1989年発売のアコード・インスパイア
1989年に発売されたアコード・インスパイア
1989年発売のアコード・インスパイアの後ろ外観、リアにかけて流麗かつ上品なフォルム
アコード・インスパイアの後ろ外観、リアにかけて流麗かつ上品なフォルム

1989(平成2)年のこの日、ハイソカーブームを牽引していたトヨタマークIIチェイサー、クレスタの 3兄弟に対抗するために、ホンダは「アコード・インスパイア」を発売しました。ホンダとしては、フラッグシップ「レジェンド」とミドルクラス「シビック」の間を埋めるアッパーミドルクラスの期待のモデルでした。

1989年発売のアコード・インスパイアの運転席、シンプルで落ち着いた雰囲気の運転席周り
アコード・インスパイアの運転席、シンプルで落ち着いた雰囲気の運転席周り

アコード・インスパイアは、5気筒エンジン縦置きのFFミッドシップという、超個性的なハードトップでした。短いフロントオーバーハングに低く構えたボンネットからリアに流れるような直線基調の英国風フォルムと、シンプルながら高級感漂うインテリアで構成。新開発の2.0L直列5気筒SOHC 20Vエンジンをフロントアクスルより後方に搭載(フロントミッドシップ)して重量配分を改善、これによって俊敏なハンドリング特性が実現されています。さらに低重心化を図るため、クランクケースとオイルパンに中空部分を設けてドライブシャフトを貫通させるという大胆なエンジン構造も採用しています。

独創的な5気筒エンジン、5気筒と言えばアウディが有名
独創的な5気筒エンジン、5気筒と言えばアウディが有名

ホンダらしい個性的な技術満載のハイソカーとしてデビューしたアコード・インスパイア。注目はされましたが、販売面で「マークII」などには及びませんでした。ユニークな5気筒エンジンといっても大排気量モデルがなく、スポーティではありましたが、ハイソカーの最大のウリであった重厚感に欠けたことが、市場で受けなかった理由でしょうか。技術的に凝り過ぎたことが、一般ユーザーには理解しにくい個性派モデルと映ってしまった点は残念でしたね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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