アムンゼンが北極海横断/ダイアナ元妃が事故死/「いつかはクラウン」の7代目トヨタ・クラウン登場!【今日は何の日?8月31日】

■探検家アムンゼンが北極海横断に成功

北極海と氷山
北極海と氷山

1906(明治39)年8月31日は、ノルウェーの探検家R・アムンゼンが北極海横断に成功した日です。アムンゼンは、1903年6月17日にノルウェー・オスロを出航、北極海を通過してベーリング海峡に至る「北西航路」の横断に成功し、1906年のこの日にアラスカのノームに到着しました。過去に多くの探検家がチャレンジしては、寒さと流氷、氷山の高い壁に跳ね返されてきましたが、アムンゼンは3年という長い月日をかけて成功したのです。アムンゼンの偉業はこれにとどまらず、1911年12月14日には人類初の南極点到達を成し遂げています。こちらの方が有名ですかね。

ダイアナ元妃(C)Creative Commons
ダイアナ元妃(C)Creative Commons

また1997(平成9)年のこの日、ダイアナ英国元皇太子妃の乗ったクルマがパリ市内のトンネルで中央分離帯に衝突し、元妃が亡くなるという事故が起きました。パパラッチの追跡から逃れようとして猛スピードを出したことが原因とみられています。1年前にチャールズ皇太子と離婚していたのでこの時は元皇太子妃でしたが、葬儀は準国葬の「王室国民葬」とされました。しかし死にまつわる様々な憶測や噂が流れ、多くの英国民は事故という扱いに疑念を抱いているそうです。真実が知りたくなりますね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●“いつかはクラウン”の名キャッチコピーとともに7代目クラウン登場!

1983(昭和58)年のこの日、トヨタの高級車「クラウン」が6度目のモデルチェンジを行い、“いつかはクラウン”という鮮烈なキャッチコピーとともに7代目が登場しました。1955年に誕生したクラウン(当時は、「トヨペットクラウン」)は、日本の自動車国産化の象徴でした。純国産設計で、日本人が作る、日本人のための高級乗用車として、その後66年経った今でも高級車トップの座に君臨し続けています。

1983年発売の7代目クラウン
1983年発売の7代目クラウン
1983年発売の7代目クラウン(Rear View)
1983年発売の7代目クラウン(Rear View)

7代目クラウンは、世界最高級のプレステージサルーンとして、伝統の快適性と先進の電子制御技術を盛り込み、新たな走りを目指しました。直線基調の先代よりも若干ながら曲線が取り入れられたウェッジシェイプのフォルムに、「クリスタル・ピラー」と呼ばれる光沢のある樹脂のCピラーを採用。ボディバリエーションは、4ドアハードトップと4ドアセダン、ステーションワゴンの3種が揃えられました。搭載エンジンは、2.0Lと2.8L直6 DOHCをメインに6機種を用意。1984年には2.8Lを3.0L直6 DOHCに換装し、1985年には2.0L直6 DOHCに日本初のスーパーチャージャーが搭載されて大きな話題を呼びました。

1983年発売の7代目クラウン(Cockpit)
1983年発売の7代目クラウン(Cockpit)

さらに足回りについては、伝統のフレーム構造ながら4輪独立サスペンションを採用して高級感漂う乗り心地を演出。装備についても、マイコン制御のオートエアコン、パワーシート、ロイヤルオーディオシステム、オート防眩ミラー、オートクルーズ機構など、まさに高級車に相応しい乗り心地と快適性を実現しました。

“いつかはクラウン”とみんなが憧れるクルマに相応しい完成度を誇った7代目クラウン。クラウンの伝統を大切にしながらも先進技術と上手く融合させるという絶妙なコンセプト。これがクラウンが絶対的な高級車として長く愛される理由ではないでしょうか。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる