専売特許の日/エンツォ・フェラーリ逝去/世界で活躍した日産ブルーバード3代目登場!【今日は何の日?8月14日】

■日本初の特許「専売特許の日」

軍艦(イメージ)
軍艦(イメージ)

1885(明治18)年の8月14日、日本で初めて専売特許令が公布され、この日7件の特許が認められました。第1号は、彫刻家で漆工芸家でもあった堀田瑞松氏の「堀田錆止塗料およびその塗法」でした。堀田氏が発明した堀田錆止塗料は、主に鉄船用の塗料として使われ、日本の軍艦のみならずロシア軍艦、米国のガス用タンクなどにも使用されました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●エンツォ・フェラーリ氏が逝去

若き日のエンツォ・フェラーリと名車エンツォフェラーリ(C)Creative Commons
若き日のエンツォ・フェラーリと名車エンツォフェラーリ(C)Creative Commons

1988(昭和63)年のこの日、イタリアの高級スポーツカーメーカー「フェラーリ」の創業者、エンツォ・フェラーリが逝去しました。フェラーリはF1ル・マン24時間レースなど多くのレースで輝かしい成績を残しているモータースポーツ界の名門。また、「カヴァリーノ・ランパンテ(跳び馬)」のエンブレムと真紅のナショナルカラーをまとった市販スーパーカーも、美しいフォルムと優れた性能で世界中のセレブ御用達ブランドとして圧倒的な人気を誇っています。会社経営の上では紆余曲折が多かったエンツォ・フェラーリの生涯でしたが、レースで勝ってそれをベースにしたスポーツカーを売るという一貫したクルマづくりには、多くのクルマ好きが共感しているのではないでしょうか。

●再びトップの座を奪回した人気の3代目ブルーバード登場!

1967(昭和42)年のこの日、日産から3代目となる「ブルーバード」が登場しました。初代「ダットサン・ブルーバード」は1959年にデビュー。日本にもようやく自家用車のニーズが高まり、ブルーバードは親しみやすい丸みを帯びたフォルムで、小型乗用車のパイオニアとして人気を博しました。

1967年発売の3代目ブルーバード
1967年発売の3代目ブルーバード

そして、人気が低迷した2代目から引き継いだ3代目ブルーバードは、プラットフォームやエンジンなどを一新。高性能時代にふさわしいスーパーソニックラインと呼ばれるシャープなフォルム、新開発の1.3L&1.6L OHCエンジン、当時としては先進の4輪独立サスペンションなどを採用した革新的モデルでした。特に、100PS/13.5kgmを発揮する1.6L高性能エンジンを搭載した「ブルーバード1600SSS」は、その俊敏な走りによって多くのファンを魅了、今も伝説の名車として語り継がれています。1968年には、さらにスポーティなクーペも追加されて人気は爆発、2代目でコロナに奪われた小型乗用車の首位の座を再び奪回しました。

1968年発売の3代目ブルーバード1600SSS
1968年発売の3代目ブルーバード1600SSS

そして、日産はこの卓越した性能のブルーバード1600SSSを武器に、積極的に国際ラリーの舞台に参戦。1969年にサファリラリーでクラス優勝、翌年1970年にはあのポルシェを抜き去り、クラス優勝と総合優勝を成し遂げたのです。これにより、ブルーバードの名は日本のみならず世界中に轟きました。

1969年発売の3代目ブルーバードクーペ1600SSS
1969年発売の3代目ブルーバードクーペ1600SSS

首位の座を奪回しサファリラリーで優勝した3代目は、日産にとっては初めて「技術の日産」を具現化したモデルであり、同時に日本が世界の頂点を目指していた時代を象徴するモデルと言えますね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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