貿易記念日/日米自動車交渉が合意/最後のセドリック&グロリア登場!【今日は何の日?6月28日】

■日米自動車交渉が合意

ペリー提督像
ペリー提督像

今日6月28日は、「貿易記念日」です。1859(安政5)年のこの日、江戸幕府が横浜、長崎、函館の3港で外国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダロシア)との自由貿易を許可する布告を出したことにちなみます。ペリーが1853年浦賀に来航して開国を要求してから6年後のこの日、日本の鎖国が解けて開国した記念すべき日なのです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

日米自動車交渉イメージ
日米自動車交渉イメージ

1995(平成7)年のこの日、日米自動車交渉が合意しました。1970年代に起こったオイルショックを契機に、燃費の良い日本の小型車が米国で急増。その結果、ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)が低迷し、米国で多くの失業者が生まれました。これを受け、米国は日本への輸出自主規制の要求や関税率の引き上げなどさまざまな圧力をかけ、両国の協議は長く紛糾していました。この日の合意では、日本が外国車や外国製部品に関するさまざまな規制を緩和して市場を開放するなどで合意しました。

●日産から10代目セドリック/11代目グロリアデビュー!

また1999年(平成11)年のこの日、日産自動車は「セドリック/グロリア」をフルモデルチェンジして発売を始めました。10代目となるセドリックはトヨタの「クラウン」に対抗する日産の高級モデル、グロリアは11代目で、ややスポーティなパーソナルカーと位置付けられた兄弟車です。

1999年発売の11代目グロリア
1999年発売の11代目グロリア
1999年発売の11代目グロリア
1999年発売の11代目グロリア

初代グロリアは、プリンス自動車工業(当時は富士精密工業)から1958年にデビューした高級セダンです。一方の初代セドリックは、1960年(昭和35)年に日産から発売され、アメ車風の斬新なフォルムと縦目4灯ヘッドライトが特長でした。その後プリンス自動車が日産に吸収されたことで両車は兄弟関係となり、以降クラウンと高級車の人気を二分する日産のフラッグシップとして進化を続けます。

1960年発売の初代セドリック
1960年発売の初代セドリック
1999年発売の11代目グロリア
1999年発売の11代目グロリア

そして39年後の1999年に登場したのが、10代目セドリック/11代目グロリアです。1999年は、日産がルノーと資本提携を結んでルノー傘下で再生のスタートを切った年です。4ドアハードトップでフロントからリアへ流れるようなフォルムに、個性的なヘッドライトと大型グリル、左右に抑揚をつけたフードなど斬新なデザインを採用。パワートレインは、直噴3.0L V6エンジンと2.5L V6 エンジン、3.0L V6ターボ、2.5L 直6ターボエンジンの4機種とフルレンジ電子制御4速AT(E-ATx)の組み合わせが用意されました。セドリック/グロリアは、日産のフラッグシップにふさわしく、静粛かつ快適性に優れ、しかもパワフルに仕上がっていました。さらにデビュー後も積極的に商品性の向上を図り、販売も堅調に推移します。

2004年発売のフーガ
2004年発売のフーガ

しかし、残念ながら両車はこのモデルが最後となりました。日産の復活をかけた日産リバイバルプランでは、セドリック/グロリアは消え去り、代わりに新型高級車「フーガ」へバトンタッチすることを選択したのでした。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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