■航空研究所の航研機が世界記録
1938(昭和13)年5月15日、東京帝国大学(東大)附置航空研究所が設計した「航研機」が、銚子-太田-平塚のコースを周回して飛行距離11,051km(滞空時間62時間22分)の世界記録を樹立。胴体はジュラルミン、主翼や尾翼の可動部は羽布張り、プロペラは日本楽器(ヤマハ)製、エンジンは川崎航空機(川崎重工)がBMW製水冷エンジンを改良したものでした。
また、5月15日は、日本にとって歴史上重大な意味を持つ「沖縄復帰記念日」です。1972(昭和47)年のこの日、「沖縄返還協定」が発効して沖縄がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生しました。返還前の沖縄は米国の統治下だったため、通貨はドル、クルマは右側通行、日本本土との往来にはパスポートが必要でした。このような辛い時期を忘れてはいけませんね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1991年(平成3)年5月15日、ホンダが軽自動車のオープンスポーツカー「ビート」を発表、翌日から発売が始まりました。1980年代後半に迎えたバブル期は、軽自動車にも高性能・高機能化をもたらしました。その象徴的なクルマがビートでした。
ビートは軽自動車ながら、2シーターミッドシップのソフトトップ付きオ-プンという贅沢なスポーツカー。専用設計のミッドシップ用プラットフォームとオープンモノコックボディは、理想的な前後重量配分43:57を実現していました。
パワートレインは、NAながらレスポンスの良い新開発の高回転型64PSの3気筒660ccエンジンと5速MTの組み合わせのみ。これにより、優れた操縦安定性と伸びやかな走行性能を誇る本格スポーツカーとして、高い評価を受けました。しかし、残念ながら発売時にはバブルが崩壊して市場は嗜好性の高いスポーツカーを求めなかったため、1996(平成8)年をもって1世代限りで生産中止になってしまいました。
ホンダの軽自動車のスポーツカーと言えば「S660」を思い浮かべる人が多いと思いますが、その源流になったのがビートです。生産が終了して25年が経ちましたが今でも根強い人気を誇り、街中で自慢げに走る姿を時々見かけます。ポルシェと同じように、生産終了しても現存率が非常に高いモデルだそうです、なるほどですね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)