■スバルを30年牽引した看板モデル!
今日は、「テレビ放送記念日」です。1953(昭和28)年2月1日午後2時、日本初のテレビ放送が開始したことにちなんで制定されました。もちろん白黒放送で、テレビ開局式に続き尾上菊五郎一座の舞台中継などを放送したそうです。当時の受信契約数は866台、受信料は200円/月でした。現在の価値で1,600円くらいなので、今のNHK受信料1,275円/月とさほど変わらないですね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1989年2月1日、スバル「レオーネ」の後継として「レガシィ」がデビューしました。
そのデビューの1ヶ月前に、「レガシィRS」は米国のアリゾナ州フェリックスのテストコースにおいて、10万km耐久走行で平均速度223.345km/hの世界記録を達成しました。この世界記録で絶対的な自信をもって、デビューを果たしたのです。
先代のレオーネは、水平対向1.8Lターボ・エンジンに4WDを組み合わせて悪路走行では高評価を受けたものの、パワーと高速の操安性については課題を残しました。レガシィRSでは新たな高次元のクルマにするため、新開発のDOHC16バルブ水平対向2Lターボ・エンジン(EJ型)を搭載して、220PSの最高出力を発揮。トランスミッションは専用ギヤ比の5速MT、ビスカスLSD付センターデフ式4WDと、最強のパワートレインと駆動機構を装備しました。その甲斐あって、レガシィは万能の4WDセダン/ステーションワゴンとして人気が爆発、1980年代に低迷していたスバルの救世主となりました。
さらにその実力を遺憾なく発揮したのが、モータースポーツへの挑戦でした。1990年からWRCに本格参戦して、1993年のニュージーランドラリーで念願の初優勝を果たしました。このとき、次期マシーンは「インプレッサWRX」に移行することが決まっており、まさに有終の美を飾った形となりました。レガシィの後を引き継いだインプレッサWRXは、1990年代後半から2000年にかけて、その圧倒的な戦闘力で優勝を重ね、WRCの伝説となりました。
レガシィは、「ツーリングワゴン」という新しいジャンルを開拓し、スバルブランドを築き上げた立役者です。約30年間看板モデルとしてスバルを牽引してきたレガシィも、昨年2020年6月に国内販売の終了が発表され、遂に国内市場から消えていきました。
巷では、早くも次期車はいつ頃か?といった噂が飛び交っています。これも、名車の宿命でしょうか。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)