■1999年、ホンダが日産を抜いて世界生産台数で国内2位奪取
1月26日は、「文化財防火デー」です。1949(昭和24)年に現存する最古の木造建造物「法隆寺の金堂」で火災が発生、国宝の「十二面壁画」の大半が焼損したことに由来します。原因は、壁画を模写していた画家による電気座布団のスイッチの切り忘れということらしいです。何ともったいないことか。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
2000年の今日、ホンダが1999暦年ベースの世界総生産台数で初めて日産を抜いてトヨタに続く国内2位になったことを発表しました。日産の国内販売低迷とホンダの北米増産による逆転ですが、翌年にはV字回復を達成した日産がすぐに2位の座を取り戻しました。ちなみに、その後ホンダが日産を上回ったのは、リーマンショックが起こった2008年と2019年です。
2001年1月26日、「7代目ランエボ(ランサーエボリューション)VII」が発表されました。
初代ランエボは1992年9月に発売され、最大の武器である高性能のターボエンジンと優れた走破性を誇る4WDが大人気となりました。1993年から「WRCグループA」に参戦し、1995年スウェディッシュラリーの初優勝を皮切りに、1990年代後半~2020年代初期にはスバルの「インプレッサWRX」とともにWRCの舞台で大活躍し、その名を世界に轟かせました。
そして2001年に登場したのが、ベース車両を「ランサーセディア」に変更して改良を進めたランエボVIIでした。エンジンは、伝統の高性能4G63(2L)DOHCターボをチューニングして低中速トルクを向上。もう一つの特長である4WDシステムについては、高精度な電子制御ACD(アクティブ・センター・デフ)によって応答性に優れた操舵性と高いトラクションを実現しました。
しかし技術の進化とは裏腹に、この頃の三菱は経営状況が悪化してレースに十分な資金を投入する余裕がありませんでした。さらに、「Aクラス」から「WRカークラス」への移行のためのホモロゲーションの失敗などもあり、ランエボVIIは下位「Nクラス」へと主戦場を移すことになってしまいました。レースは、何といっても技術力と資金力の勝負ですからね。
ランエボVIIは、歴代のランエボの中では比較的地味な存在でした。WRCでの活躍の陰りやランサーセディアベースのおとなしい、精悍さに欠ける顔つきが関係したのかもしれませんね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)