■東京市営乗合バスが運行。若者にも支持された高級車シーマの人気は凄かった
1924年(大正13年)1月18日、都バスの前身にあたる東京市営乗合バスが、巣鴨駅~東京駅と中渋谷駅~東京駅の2系統で運行を始めました。前年の1923年に発生した関東大震災で大打撃を受けた都電の代替交通機関として急遽始めたとのこと。
車両は、「TT型フォード」を木製骨車体でバス化した11名乗車のワンマンバスでした。TT型フォードは、「T型フォード」をロングホイール化した商用車です。またT型フォードは、創業者の「ヘンリー・フォード」がライン方式の大量生産を行い、大成功した1908年発売の乗用車です。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1988年1月18日、「シーマ現象」を巻き起こした日産「シーマ」がデビューしました。
シーマは、当時の高級兄弟車「セドリック/グロリア」のさらなる上級仕様(正式名称「セドリックシーマ」と「グロリアシーマ」)として設定された3ナンバー専用車です。セドリック/グロリアの重厚な角張ったフォルムを流麗にしてスポーティさを強調し、エンジンは当時最高レベルの3LセラミックターボV6エンジンを搭載、電子制御エアサスペンションの採用など、高級セダンながらスポーティでパワフルな走りが魅力でした。
シーマが登場した1980年代後半は、日本では空前のバブル景気の真っただ中でした。「高価なモノが売れる」、「高価でないと売れない」時代、トヨタ車を中心に高級セダンが売れた「ハイソカーブーム」も起こっていました。シーマも同様に爆発的な人気を博し、400~500万円と高価格でありながら何と1年間で36,000台以上が売れ、「シーマ現象」という言葉が生まれたのです。しかし、1992年以降のバブル崩壊とともに、ご多分に漏れずシーマの勢いは次第に減速したのでした。
当時高級セダンと言えば、ブラック/グレー系の落ち着いたボディカラーが定番でしたが、白いシーマを見てそのスマートさに衝撃を受けました。しかも、結構若い人が乗っている、特にバブルの恩恵を受けていなかった私には、ただただ羨ましかったのを覚えています。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)