パジェロがパリをスタート、そしてパリダカ総合優勝!【今日は何の日?1月1日】

■パジェロをヒーローにしたパリダカ、パリダカを有名にしたパジェロ

明けましておめでとうございます。今年も「今日は何の日?」をよろしくお願いいたします。

2020年はコロナに振り回され、まだ収束する気配はありませんが、一方でワクチンの接種が始まるという明るいニュースもあります。もう少し我慢して3密を避けながら、いろいろなことに挑戦したいと思います。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

今日は、かつて三菱のパジェロが圧倒的な強さを見せて一大ブームとなった「パリダカ(パリ・ダカールラリー)」を取り上げました。パリダカは、元旦にパリをスタートして砂漠地帯を走破してセネガルのダカールでゴールする「世界一過酷なモータースポーツ競技」でした。現在は、コースが変更され「ダカールラリー」として開催されています。

2007レプリカモデル
2007レプリカモデル
2007レプリカモデル(2)
2007レプリカモデル(2)

パジェロは、1983年に初参戦ながら「市販車無改造T1クラス」で優勝。さらなる高みを目指した改造範囲の広い「プロトT3クラス」で、1985年にいきなり総合優勝を果たしました。そして1987年には、日本人ドライバーの篠塚健次郎選手が「市販車無改造クラス」で3位と健闘。その活躍ぶりをNHKが特番で放映したため、日本でパジェロとパリダカブームに一気に火が付きました。また篠塚選手は、ラリードライバーとしてヒーローになりました。

2007増岡選手総合優勝
2007増岡選手総合優勝

その後、1997年に篠塚選手が日本人ドライバーとして初めてパリダカを制覇し、2001年には篠塚選手の後を継いだ増岡浩選手が日本人2人目のドライバーとしてパリダカを連覇したのです。ここから破竹の7連覇を果たし、パジェロは「砂漠の王者」と呼ばれるようになりました。しかし、これを最後に経営状況が悪化した三菱はワークスチームを撤退し、パジェロのパリダカの栄光は幕を閉じたのです。残念!

2010年頃から、自動車業界の低迷とともに自動車メーカーは、相次いでモータースポーツから撤退し始めました。昭和の子どもは、レーシングカーやレーサーに憧れて育ったのですが、若者の自動車離れと関係ありますかね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

(Mr.ソラン)

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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