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■さよなら、ロードマップ!? 車内の地図表示システムの出発点
今日12月18日は、東京駅が開業した日です。1914(大正)年12月18日開業。もちろん計画はそのはるか前から立てられ、1900(明治33)年から市街高架線の建設が始められましたが、日露戦争によって中断。6年の中断期間を経て1906(明治39)年に工事が再開し、1910(明治43)年に完成となりました。それとは別に進んでいた中央停車場の完成(こちらは着手から6年半)を待ち、いよいよ1914年12月18日の開業に至ったわけです。
●こんにちは、ナビゲーションのご先祖様
さて、クルマ界の今日、何があったのかを探してみました。
ありました! 今から39年前の1981(昭和56)年12月18日、今のナビゲーションシステムの始祖にあたる先進デバイスを発売した日だったのです。
というわけで、今回は「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」をご紹介しましょう(以下、ジャイロケーター)。
当時発表の資料タイトルには「世界で初めて自動車用にジャイロを実用化した、慣性航法装置『ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ』を発売」とあります。そう、当初は「ナビゲーション」の名称はどこにもなかったのです。
そもそもナビゲーションには「案内」の意味があるのですが、このジャイロケーターは案内ではなく、現在の自車位置を画面内の地図上に映し出すだけのもの。その地図に至っては、1981年のことですから今のようなデジタル地図であろうはずはなく、地図が描かれたシートを本体下のスロット(?)から差し込むという原始的なもので、これは1981年9月の初モデルチェンジで2代目に進化したアコード(と初代ビガー)専用の用品として発表されました(発売は東京・名古屋・大阪・福岡・仙台の主要都市のみ。)。
80年代初頭のこのシステムは、我らが21世紀のユーザー&ナビのように、エンジンをかけるや即、自車位置を表示するナビに目的地入力、数秒で得られた距離と時間で、知らない道でも口笛を吹きながら気軽に走るなどというふやけたことを許してはくれません。ナビに道案内を「させる」なんてとんでもない。どの道を選ぶかは相変わらずドライバーの自己判断、自車位置の表示だけを「お願いする」というのがこの「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」です。表示のためのお願い操作たるや、それはそれは心してかからないといけないものでした。
●使えるまでの初期設定、7項目!
操作手順を見てみましょう。
【操作手順】
1.エンジンスイッチを入れる。
2.(ジャイロケータ本体の)電源スイッチを入れる。
3.地図を選んで挿入する。
4.縮尺を合わせる。
5.画面及び軌跡の明るさを調整。
6.現在位置を合わせる。
7.進行方向を合わせる。
どうです? 今のような、エンジン(またはパワーシステム)が始動するや、起動画面を経て瞬時に自車位置を示すナビゲーションを使い慣れた身には、このジャイロケーターは使用準備OKまでに「作法」を要することがわかるでしょ? 「儀式」といってもいいかも知れません。
エンジンをかけたら、それとは別にジャイロケータ-の電源を入れ「させていただく」! 地図シートを挿れ「させていただく」! そして今いる位置と進行方向を知って「いただく」! といった「儀式」が必要でした。なぜなら「GPS(grobal positioning system:アメリカの軍事衛星)情報から自車位置を測位」などというロジックではなかったからです。
12月16日の「なんの日」は電話の話から始まっていますが、いまやスマートフォン時代、GPS情報を手中に受けて自分の位置を知ることができるわけですから、タイムスリップしてきた1981年の人々が、宇宙規模の技術が老若男女・個々の手のひらにまで広まっている21世紀を見たらひっくり返ることでしょう。
話を戻して、逆に 21世紀にいる我々がこの「ジャイロケータ」を見てひっくり返るのは、電源を入れて地図が表示されるまでに5分の予熱が必要という気難しさ(!)と、その間「シバラクオマチクダサイ」という電報みたいな文字を見させられることです。私はこの頃のクルマ、いや、クルマばかりか、そのデザイン、装備に至るまで、今とは異なる「大人が使うもの」としての風格があったと思っているひとりなのですが、となるとこの予熱時間は、大物作家か作曲家の先生がやる気になるまでの待ち時間に思え、「シバラクオマチクダサイ」は「そこで待っとれ」に見えてきます。ここは正座してお待ちするしかありません。
ところでこの予熱時間を知って「おいおい、5分待っている間に目的地に着いちゃうじゃんか」と思うのは早計。5分で着くような距離なら知った道でしょうから、1981年時点の先進デバイスとて初めから使わないでしょう。これは今のナビでも同じ。だからといって長距離を走るときにこそ使うかといえばそれも「???」。というのもこのシステム、手順どおりに現在位置や進行方向を合わせてクルマを走らせたとき、画面内で自車が進むにおよんで地図がスクロールするのではなく、自車を示すポイントのほうこそが地図の道路上を移動していきます。
ならば自車ポイントが画面の端っこに来たらどうなるのか?
セルロイドの地図シートを差し替えるのです!
●地図はOHPよろしく、セルロイド製のシート!
この写真を見てみてください。本体からはみ出て、かつその上部が本体裏側に反っくり返っているところが泣かせる、透明セルロイドに描かれた地図シート。走っているうちに自車ポイントの光がモニター端に来たら、ドライバーは車を脇に停め、地図シートを差し替えることを要求されたのです…。とにかく何から何までがアナログ操作なのでした。
使う地図の縮尺率にもよりますが、このジャイロケーターを使って稚内から沖縄まで走ったら、何回道ばたにクルマを停める必要があるのか、ぜひ試してみたいものです。
画面は6インチのカラーながら、当時のことですからもちろん液晶ではなくてCRT(cathode ray tube)。要するにかつてのテレビと同じブラウン管式で、取り付けスペースに奥行きを要するのが難点でした。大体、一般の人が目にする身近な液晶製品といえば、デジタルの腕時計か、任天堂「GAME&WATCH」をはじめとする電子ゲームくらいのもので、それも決まった形でしか表示できないモノクロのもの。クルマ用の時計だってこの頃はまだアナログの2針または3針式が主流で、上級車に用いられたデジタル時計はまだ液晶ではなく、蛍光管式でした。
参考までに、自車位置の測位にガスレートジャイロを用いたこの「ジャイロケータ」をホンダナビゲーション(ルート案内はしないにせよ)の第1世代とすると、第2世代は1990年10月の2代目レジェンドに搭載されたナビで、このときまでがCRT。ルート案内も行うようになり、自車位置の割り出しには第1世代に続けてガスレートジャイロを用い、あくまでも自律航法に終始。1992年9月の改良版レジェンドの時点でナビも改良を受け、GPS併用式に進化しました。
第3世代の命題はナビの普及でした。そのための低コスト化の策として、高精度が要求されるジャイロをガスレート式から振動ジャイロ式に改め、モニターもCRT式からカラーの液晶式に変更。この第3世代ナビの初搭載車は、アダムスファミリーのコマーシャルと「幸せづくり研究所」のフレーズで一躍大ヒットした、1993年10月の初代オデッセイです。オーディオメーカーや電子機器メーカー製はいざ知らず、自動車メーカー装着のナビで液晶式を採ったのは確かホンダが初だったと思います。
また話が反れました。残念ながらこの「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」、実用性に乏しかったのと、取付工賃を含む値段が高かった(当時価格・29万9000円)ことから販売台数は公称200台ばかりにとどまり、その後の飛躍的な進化は、前述の2代目レジェンドまで待たなければなりませんでした。しかしこのシステムの開発で得たノウハウは、最新ホンダナビの奥底の底で今も息づいているに違いありません。
とまあ、かけ足でご紹介した「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」でした。
毎日がなにかの記念日。それではまた次回!
(文:山口 尚志/写真:本田技研工業/山口 尚志)