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■アサヒ号A型は、内製の空冷2サイクル単筒エンジン(172cc)を搭載した本格バイク
●戦後まもなく、ホンダ、スズキ、ヤマハがバイク事業に参入
世界で初めて2輪車(バイク)を作ったのは、自動車を始めて作ったゴットリープ・ダイムラーでしたが、バイク事業へは進出しませんでした。そこから遅れること約50年、日本初で市販されたバイクは、1933年宮田製作所の「アサヒ号A型」です。
戦後の日本で急速に普及したバイクの誕生と歴史について、解説していきます。
●初めてバイクを作ったのは
1886年にカール・ベンツと同時期にガソリン自動車を発明したゴットリープ・ダイムラーは、実は自動車よりも先にバイクを作って特許を取っていました。ダイムラーが1985年に作ったバイクは「リートワーゲン」と呼ばれた木製で、ライダーの腰の下にガソリンエンジンを搭載していました。
フレームだけでなくホイールとタイヤも木製で、現在の2輪車の概念がなかったのか小さな補助輪が付いた正確に言うと2輪+補助2輪車でした。
ダイムラーの息子が1886年に特許を取得しましたが、ダイムラーは自動車の開発に注力したため、ダイムラーによる世界初の2輪車の市販化は実現しませんでした。
世界初の市販バイクは、1894年のドイツ「ヒルデブラント&ヴォルフミュラー(H&W)」でした。排気量1489ccの並列2気筒エンジン、出力は0.5PSで最高速は45km/h、生産台数は3000台を超えたと言われています。
●日本で初めてバイクを市販化したのは
日本初の市販バイクは、1933年自転車メーカーの宮田製作所が生産した「アサヒ号A型」です。このバイクは、1914年に製造して「黒バイ」として警察に納入していたモデルを改良したものです。
エンジンは、英国製バイクのエンジンをコピーしたもので、空冷2ストロークエンジン(排気量172cc)でした。当時としては、高性能で耐久性に優れていたため高い評価を得ました。
また国産大型バイクとしては、三共内燃機がハーレーダビッドソンをベースにした「モデルVL(1200cc)」を1934年、「モデルR(750cc)」を1935年に商品化しました。エンジンは4ストロークで、その後両モデルは「陸王」と名付けられ、日本のハーレーと呼ばれました。
●ホンダ、スズキ、ヤマハの参入
大戦後、自転車にエンジンを搭載したモペットタイプのバイクを中心に、100を超えるバイクメーカーが存在したと言われています。その中で、現在最大手のメーカーであるホンダとスズキ、ヤマハもバイク事業に参入しました。
・ホンダ
ホンダの創業者本田宗一郎は、1947年独自にバイク用のA型エンジンを開発しました。1948年に「本田技術研究所」を設立し、1949年に2輪車の「ドリームD型」の生産を開始しました。エンジンは、空冷2ストローク排気量98ccの単気筒でした。
1958年には、世界的な超ロングセラーとなったスーパーカブを発売しました。
・スズキ
織機メーカーを起源とするスズキですが、社長の鈴木俊三がエンジンを補助動力とする自転車の開発に着手しました。1952年に排気量36ccのエンジンを搭載した自転車「パワーグリー」を発売、1953年には排気量を60ccに増大させた「ダイヤモンドフリー」を発売し、大ヒットしました。
その後1954年には、本格バイクのコレダ号を商品化してバイクの製造に乗り出しました。
・ヤマハ
楽器メーカーのヤマハは、戦時中は軍用機のプロペラを製作していましたが、社長の川上源一は1953年にバイクの研究開発に着手しました。1955年には、空冷2ストローク排気量125ccの単気筒エンジンを搭載した「YA-1(通称赤トンボ)」を発売して、大ヒットしました。また、黎明期であった日本のモータースポーツで大きな功績を残しました。
自動車がまだ大衆の手の届かない高級品であった戦後、業務用や個人移動用としてモペットタイプ(自転車にエンジンを搭載)バイクは、安価なこともあり爆発的に普及しました。
戦後まもなく、モペットタイプでなく本格的なバイクが普及し始め、大手のホンダ、スズキ、ヤマハがバイク事業に参入してバイク製造は一大産業へと成長しました。
(Mr.ソラン)