戦後の危機を救ったのはライバル豊田だった!4輪への思いを秘めながら自転車にエンジン搭載した2輪から再スタート【スズキ100年史・第3回・第1章 その3】

織機事業の戦後の不況を乗り切った鈴木式織機は、次の事業として将来有望な自動車事業への参入を決断。しかし、最初から自動車の開発に取り組むのではなく、まずはエンジンを補助動力とするエンジン付自転車の開発からスタートしました。

1952(昭和27)年に発売したエンジン付自転車「パワーフリー号」、続くパワーアップした「ダイヤモンドフリー号」は大ヒット。この成功を受け、1954(昭和29)年には社名を「鈴木自動車株式会社」と改め、本格的な自動車事業への参入を社内外へ宣言したのでした。

第1章 始まりは鈴木式織機、そして2輪車への挑戦

その3.エンジンを搭載した自転車からスタート

●戦後の不況

戦時中に砲弾や機関銃を製造していた鈴木式織機は、米軍の空襲の的になり、浜松市の本社工場は壊滅状態になりました。終戦直後には、2,000人余りいた従業員を350人ほどに削減し、一から出直しを図りました。

その後、復興需要やサロン織機の輸出再開で業績は一時的に回復しましたが、1949(昭和24)年政府のインフレ抑制のための金融引き締め策で景気は一気に後退。その結果、注文のキャンセルが相次ぎ、鈴木式織機は経営危機に陥ってしまいました。

この苦境から救ってくれたのは、何とライバル社である豊田織機の石田退三社長でした。1951(昭和26)年、融資と役員派遣によって鈴木式織機を全面的に支援。その後、朝鮮戦争の特需という好材料もあり、何とか最悪の危機は脱しました。

石田退三
ライバル社である豊田織機の石田退三社長。

●まずはエンジン付自転車から

経営危機を乗り切ったものの、織機事業だけの経営では不安定な状況が続きました。鈴木道雄社長は、織機だけではいずれ行きづまると判断して自動車事業への参入を決断。戦前から試作車を製作するほど、鈴木道雄社長の自動車製造に対する想いは強かったのです。

一方、娘婿の鈴木俊三常務は4輪車の開発は時期尚早と考え、まずは2輪車を開発すべきと考えました。自転車に補助エンジンを取り付けたら、向かい風でも坂道でも楽に走れるのではないかという単純な発想から、エンジン付自転車の開発に着手したのでした。

●1952年エンジン付自転車「パワーフリー号」の完成

1952(昭和27)年1月、排気量30ccで0.2PSの2ストロ-クエンジンを搭載した試作車「アトム号」が出来上がりました。しかし、最初の試作車は出力不足で十分な動力性能が得られず、すぐに排気量を36ccに拡大して出力を1PSに向上するなど大幅な改良を行い、4月には最終仕様が完成しました。

推進役の鈴木俊三常務と鈴木道雄社長がすぐに試乗して、十分な実用性があることを確認して事業化が決定。初めての2輪車ながら画期的な2段変速システムのダブルスプロケットホイールなど、最新技術が採用されていました。

「パワーフリー号」とネーミングされ、5月に浜松祭りの凧揚げ会場で大々的にお披露目され、7月には日本橋の白木屋で展示即売会を開催。「パワーフリー号」は、販売直後からその使い勝手の良さが評判となり、順調に販売を伸ばしていったのです。

初のエンジン付き自転車パワーフリー号
初のエンジン付き自転車パワーフリー号

●続いて1953年「ダイヤモンドフリー号」デビュー

1952(昭和27)年7月、道路交通法の改正によってエンジン付自転車は、2ストロークエンジンが排気量60cc、4ストロークエンジンは90ccまでは無試験で認可できることになりました。すぐにエンジンの排気量を60ccに拡大して、翌年1953(昭和28)年3月には「パワーフリー号」をパワーアップした「ダイヤモンドフリー号」の販売を始めました。

排気量60ccで2PSのエンジンは、ライバルの中で最もハイパワーで、販売当初から月産4,000台と好調な滑り出しを見せました。性能と実用性の高さは、1953(昭和28)年に開催された「富士登山レース」での初参戦初優勝、また札幌―鹿児島間の18日間のノートラブル走破で実証され、月販は6,000台まで伸びました。

この成功を受け、1954(昭和29)年には社名を「鈴木自動車株式会社」と改め、本格的な自動車事業への参入を社内外へ高らかに宣言、自動車メーカーとして歩み始めたのでした。

パワーアップしたダイヤモンドフリー号
パワーアップしたダイヤモンドフリー号

(文:Mr.ソラン 写真:トヨタ自動車、スズキ)

第4回につづく。


【関連記事】

第1章 始まりは鈴木式織機、そして2輪車への挑戦

その1.始まりは鈴木式織機製作【第1回・2020年8月1日公開】
その2.2輪車誕生の歴史【第2回・2020年8月2日公開】

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる